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ダイエットは自らが飢えに追い込むストイックな行為?

ぷよぷよしたお腹の肉が、大学ノートの厚みから
百科辞典の厚みに変化しそうなこの頃。

私が「すごいわ。このお肉」と、ヒロサンに言うと、
「俺もすごいぞ、ほれ」と、美を達観した(?)会話に
なる。

今や日本人の生活は、飢えからほど遠い。

‘飽食の時代’と言われ、何十年かになった。

テレビは、面白おかしく、大食い女子を取り上げ、
食べても、食べてもまだ食べれる、細身の体の女性
を、続出させている。

食べっぷりは、あっぱれだが、量の多さは、
びっくりを通り超える。

視聴率アップの欲を満たすため、番組制作は中身なんて
あまり関係ないようだ。

空気を吸っても、水を飲んでも太る、なあんて人から
見れば「ズル~イじゃないか~」って聞えそう。

しかし、大食いが番組として成り立つのは
不思議としか言いようがない。

まあ、痩せているにも拘らず、大食だから
人の好奇心はくすぐられ「あの人の体は
どうなってんの?」と思うのかなあ。

そりゃあね。細い方が、何を着ても似合うかもしれないし、
動きも軽快に見える。食べても、太らないなんて
いいとこどり過ぎるかもしれない。

ダイエットを目指す人の真逆。

おデブや、ふくよかなのも健康に問題ないのなら
私は、何だか優しく寛容に見えるし、包容力を感じる。

でも、本人からすれば「カッコ悪い」と自己診断した時から
この体以外をめざし、奮闘がはじまるのかもしれない。

目指すのは納得いく体重まで。

だから、これといった目標はあいまいなものに
なっている。

ダイエットは、程よい緩みが、地道な継続になるようだ。

あまりにストイックになりすぎると、心の筋肉も
しぼんでしまう。

個人の好みで、どっちも悪くないが、中身磨きが
何より私たちの美しさを光らせるんだよね。

外を絞り上げても、中を磨き上げなきゃあ・・・
「どうやって磨くかって?」
・・・まずは、あるがままを、大いに愛することかなあ!

人はどこまでも比較の世界に身を置いているから
視覚はついつい比べちゃうんだよね。

食べられないひもじさの中では、体型なんてどうでもよく
太い方が豊かに見える。

食べ過ぎの時代になると、体型が気になり
痩せている方が、自らを意志の力でコントロール
できてるみたいに感じる。
溢れる食欲を、自らの意志で抑え、飢えに向かう
ダイエットと言う行為が登場したんだ。

今日のメッセージ
でもね。食べるってすごく嬉しいこと。
味覚があればこそ、嗅覚があればこそ、味わえる「食べ物」
あらゆる感覚を持った故に、食事の行為ができます。
美味しいって感じるのは素晴らしいこと。
一口食べては、「ありがとう」って味わうと、ちょうどいい
体重体型におさまるかもしれませんね。

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健康って?

おはようございます。
昨日の続きを、書かせていただきます。

人間は素晴らしい頭脳と、進化、発展への創造性を、
持ちながらも、反面、幼稚で未熟な生き物かもしれません。

私たちは、見えぬ根や、全体像を見る事が、案外と下手くそ
です。

例えば、外傷による外科処置のようなデジタル処置は、
素晴らしいですが、病気という、内側に抱えた問題は、
とてもアナログ的であり、表向きに目を凝らせば、
対処療法をするしかありません。

ちゃっちゃっと、症状に病名を当て、出ている問題に相当する
薬を処方する。

その場しのぎ。
これは、モグラたたきと同じで、そこを封じても
別の穴から、ひょこっと顔を出す。

もちろん、場合によっては、一刻も速い対処が大切です。
でも、すべてにおいて、速さにこだわれば、余計問題が
こじれたり、膨らんだりする場合もあります。

生きる生命力、治癒力のアップは、全体を支える根に
目を凝らし、そこに崩れかけたバランスを取り戻す力を
与える以外ないかもしれないのです。

そして、力のアップは、いくつになっても可能です。

だから、「簡単にちゃっちゃっとできない」と、腹をくくり
即効性をあきらめ、寛容の波に乗って、瞬間瞬間の
細胞の入れ替わりを信じる。

根の原因があってのことだから、養生は自分と自然と
大いなる命の協働作業なのです。
痛みも苦しみも、早く取り去りたいのは、当たり前ですが
訳あって、長引いてるのかもしれません。

そして、気持ちの切り替えは、即、可能なのです。
抵抗から受容への変化は、かたくなな体と心を
緩ませます。

私は、生まれて、1度も母乳を飲んだことが
ありません。
母が、出産後危篤状態になり、長いこと養生をしていたので
仕方ありません。
そのせいかどうかわかりませんが、腸内の、
善玉細菌が少ない為か、小さい頃からひどい便秘
で、薬を飲まないと排便できなかったのです。

腸の不活性は、様々なアレルギーを引き起こしました。
コレステロールもとても高くなりまし。
体力が落ちれば、即、免疫不全につながっていきます。

しかし、腸は腸だけで機能しているのでなく、
多くの臓器と関連しながら、神経や、ホルモンと
関係しながら動いてます。
それら全てを収める肉体という宇宙服は、私という自我の
「意」を持って扱われてきたのです。

だから、自我の悪影響も十分あったとおもいます。

この服を着て、死ぬまで生きるのが、肉体です。

一切の化学薬品をやめ、自然治療に取り組んでます。
根の力をつけ、全体のバランス力をアップし、
生き生きと暮らすことが、肉体さんへの心からの
「ありがとう」につながるのだと思わずにおられませんから。

今日のメッセージ
ちょっと、強がりもありますが、やっぱり、いろんな苦労って
自分の底力を上げてくれてます。
悩み、もがき、探し、ためし、ぶつかり、倒れ、立ち上がる。
傷をひと舐めしながら、人と関わり、裏切られたり、助けられたり・・
この経験が、この感情体験が、人生の心の筋肉になrって、
しかも変形自在のゴムみたいな筋肉になっていく。
その筋肉の持ち主は、やはり自由でとらわれのない人が
お似合いです。
人生という、押し広げた時空間を観賞している命そのものが、
本質のわれわれです。
肉体は借り物、心も記憶と観念の創りだしたものですが・・
人間目線で言うと、現実には、しっかり地に足をつけ、
起きていたことに取り組み、体験する。
成長、進化の向かう魂は、本当に地球大冒険が
わくわくするようですが、思考の自分はわくわくより
ドギマギしちゃうんですね。
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深呼吸のすすめ・・健康とは?

おはようございます。
久々にブログを書きます。
ちょっと、健康について私なりの感じ方を書いてみますね。

世の中には、情報が溢れかえり、ある時期を境に、
一気にその波が膨れ、ブーム到来となります。
いつにまにか、そんな波も、静かに引き、影をひそめて
ゆき、また新たなブームがやってきます。

健康に関する情報、病気を防ぐ情報、病気を治す情報
今や、インターネットから、大量の情報が、つかめます。
溢れる情報、様々な口コミ、やがて訳が解らなくなるほどの
知識に、やっと自らの直感が発動します。

が・・不安にかられた意識は、直感と思っても、馴染みの
感覚での選択をしているのが、おちです。

もっと詳しく書籍を、調べれば、医学的な検証による
作用や効能は、誰でもわかります。

が・・人はそれぞれ違った体質、資質を持ち、多種多様な
環境の影響を受けながら暮らしてます。

この人に、これはOKでも、あの人には合わない、ということは
いっぱいあります。当然ですよね。

だから、何事も、体験経験を通してしか確認できません。

毒と言われるものでも、転ずれば薬となるのです。

また、病気と健康の境界線は、あるようなないようなもの。

人は病気と健康を行ったり来たり、普通にしながら
暮らしてます。


面白い本からの抜粋です。
健康と病気について」   ルドルフ シュタイナー
呼吸プロセスとは、まずは息を吸い込むプロセスなのです。
我々は、我々を取り巻いている、空気を、それも生命にとって
必要な酸素を吸い込みます。酸素は、我々の全身に広がります。

全身には、炭素が小さな粒子で散在してます。
いや、むしろ泳ぎ回ったり、飛び回っているといいたい。

おわかりですか?炭素を自分の中に担っています。

炭素は、自然の中にも見だせます。

石炭の中にも、植物の中にも存在します。
植物は、炭素と水で構成されているので、炭素は植物の
最も主要な成分です。

皆が持っている、鉛筆に黒鉛が入っていれば、
その炭素で、物書きをするのです。

またダイヤモンドは、非常に貴重な石ですが、やはり炭素なのです。
ダイヤは透明な炭素で、石炭は不透明な炭素です。

自然の中では、石炭の様に存在を誇示できない
エレガントでないものと、英国の王冠に使われる価値ある
ダイヤモンドが、おなじ素材であることが興味深いです。
ただ外形の違いです。

そのような炭素を、我々は様々な姿で我々の中にもっているのです。

我々は、酸素を吸い込みます。
あちこちの体中に広がり、炭と結合しします。
酸素が固い炭と結合すると、再び炭酸ガスが発生します。
炭酸は、炭素と酸素が一緒になったものです。
そして、これを吐きだします。

私たちの生命は、酸素を吸い込み、炭酸を吐き出すことによって
言い換えれば、自分の体を、他の世界に介入させることで、
そもそも成り立っているのです。

しかし、次のように言うこともできます。
「我々が、いつも単なる酸素を吸入したなら、
計り知れないほどの炭素を持たねばならず、炭酸は我々の中に
とどまらねばならない。」と

「すると、息を吸い込むことで自分を膨らませることになり
極めて巨大化するかもしれない。そうなると、人は、常に
息を吸い込み、ものすごい吸気になる」と。

でも、我々はそんなに炭素を持っていません。

炭素はたえず、再生されなければいけないのです。
我々は、息を吸うだけでは生きられず、息を吐かねば
生きられないのです。

だから炭素を新たに形成しなければならないのです。

「酸素は我々にとって生であり、炭酸は死である」ともいえるのです。

炭酸で満たした部屋の中に入れば、死ななければなりません。

我々は常に入れ替わっているのです。
息を吸い込むことによって、生の空気と一緒になり、
吐く出すことによって、死の空気と一緒になるのです。

絶え間ない生と死が、続いているのです。
                           ルドルフ シュタイナー


今日のメッセージ
まさに、私たちは、呼吸を通して吸気で「生」を、吐気で「死」を
毎瞬、体験してます。
息をするのは当たり前すぎて、意識が向かず、
感覚的にも鈍感に」なっています。しかし事実です。

たとえば、深呼吸するとき、なるべく自分を微細な振動する光と
考えたらいかがでしょうか?

その後音叉をすると、細胞内の水が、音叉の周波数により
揺さぶられ、自己調整の開始です。

私にとって、健康とは、病気にならない事ではなく、自己治癒力
の底上げであり、その治癒力とは、肉体、精神、魂のバランスを
とることと深い関係性があると思います。

病気知らずの強靭な肉体、体力があっても、もし
ゆがんだ思いや、エゴまるけの精神であれば、
その人の全体像を健康とみなせるのでしょうか?

免疫疾患は、免疫機能のアンバランスがもとになり、
発症します。

外に現れ、発症すればこそ、気が付けるのであって
「気づき」をもたらす、症状は、辛いし、嫌ですが
決して「悪者」ではないと思ってます。

気づきが、バランスを取り戻すきっかけとなるからです。
この続きも、書きたいと思います。
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前回の続き(感情を味わい抜く)

あの、補足ですが、感情を味わい抜きながら、
気をつけたいことがあります。

それは、起きた事の意味を考えたり、深読みしない事。

正しさとか、本来の形なんていうものは、ありません。

理想は頭の中。起きた事はリアルな事。

そして終わった事。

そこから、繋げながら、あの時とか、これからは・とか
思考が物語を創りだすと、厄介な問題に変身しますから、気をつけましょう。

ただ、感情はしっかり感じておかないと、どこかにこびりついたまま
多重に堆積しちゃうから。

それが未完了の衝動、感情でカルマというのではないでしょうか?

理性や意志力で良い方に向けても、ポジティブ思考に逃れても、
その場しのぎにすぎません。

結局なんだかんだ考える自我は、支離滅裂なものなんです。

体は正直に反応するので、ストレスを抱え、
心や体の病を現わし、悲鳴をあげるかもしれません。
なるべく、こびりつきは落としましょう。

そして、どんなことでも、過ぎ行くのです。
気持ちや記憶に、あえて苦しさを書き込まないよう、
感じて「さようなら」をした方が
いいんじゃないでしょうかね。

「この恨み末代までも・・」なんて、重い思いを抱える話もありますが。
んんん~源をたどれば・・・みな・・・?

お読みいただく皆様、さて、「?」の答えはなんでしょうか?

「?」を体験した自分は、やっぱり、憎いあいつや、嫌いなあいつを
含めた私に関するすべてのものに対して(最初はちょいと悔しいが、)
「全てが幸せで、平和に包まれますように。」
と祈ります。
結局、それしかやることなくなっちゃうんだよね。

様々な周波数が、空間を流れています。

わたしだって、何年か前まで、そう聞いても、全然ピンときませんでした。

その周波数には、悪魔みたいなものや、天使みたいなものもあり、神もあり
、我々の中にある、あらゆる全ての周波数が存在しているようです。

しかし、みな私の中にある周波数。

どれを掴むかが、前回の階段のお話になるのです。

それが、パイプのような肉体を通過する瞬間、まるで私が考えていると
思ってしまいます。

さらに、肉体自我は、これが私と信じる、様々な癖があるため、
おなじみの周波数を掴み、さらにこんな私と醸成していきます。
うそ~ってなりそうですが、ほんとうだよ。

だから、意識や認識力の広がりや、気づきの深まり抜きには
階段はのぼれないのでしょうね。

体験をしながら、ハートの窓を開け、学習し、叡智にふれて
1歩ずつ行くのだと、思います。

深呼吸や「笑う」は、階段のぼりの持参品。お・忘・れ・な・く。
忘れたら、胸のOKワッペンのぞいてみましょう。

<u>今日のメッセージ
あなたにとっての、「怒り、こんちくしょう」体験があれば
お聞かせください。
「いい人、ぶりぶり」体験もあればお聞かせください。
案外、いっぱいあって、あたしだけじゃないんだあ~ってなります。




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怒り、憎しみ、悲しみの感情を抱きしめる。

私は、いたって凡人で、どこにでもいる普通の人です。
出来の良い人間でもないし、まして聖人なんてほど遠い。

時には、すぐ笑い、すぐ泣き、すぐムッとなります。

病気で救急入院後、ちょっとだけ‘空’への誘いの様な体験を
したお蔭か、人生に何かあって、喜劇や悲劇のヒロインに
なりそうになっても、どこか冷めた目で観察できる位置に戻る
自分がいます。
「イチ、抜けた~」

しかし、普段は霊的成長のドタバタの旅をしてる感じです。

この世は、様々な人との出会いがあり、体験があります。
避けられない出来事も起こります。

親子、親戚、兄弟と血縁があるゆえに、摩擦が大きくなることもあります。

時には、まさかの相手からの言動にノックダウンしそうに
なったりします。

あきらかな交戦姿勢をむき出しにされたり、暴言に深く
傷つくこともあるでしょう。

いつの間にか戦闘モードに入りそうになったりします。

人の気づきほど、個体差が大きいものはありません。

その深さや、質は見えず、霊的成長の段階は無限にも感じます。

物事への検証の仕方も、認識も違うから、人とぶつかったり、
関わるほどに期待と失望のシーソーに乗ったり。

ズレを感じながらも、何とかしようと、余計ズレたり.

「苦しいのは環境や、人のせいだ」と信じて疑わない段階。

「起きることは偶然で、人生死んだらおしまい」とお金や地位に
しがみつく段階。

少しスピリチュアルを知り、「あらゆる世界は、自分の内側の反映」
と、じぶんを責めて悩む段階。

いかなる時も、意志の力でポジティブ思考をする段階。

「善悪を超え、ワンネスを目指す」が、思考倒れして、現実の過酷さに
応用しきれない段階。

自我の崩壊と共に、内側からやってくる「目覚め」の段階。

段階は、上も下もなく、無限大です。

そして、段階に留まっている訳でなく、
絶えず、行ったり来たりです。

私は段階を階段に例えるなら、のぼる1歩にも、
普遍性を感じます。

ある程度のぼると、そこからは、人生の意味づけをせず、自己解釈を超えた、
人知も及ばぬ‘何か大きな全体を網羅した計らい’がある事に
気づきながら足を進める階段を共有するからです。

個性により、のぼり方も足をかける場所も違うので、共有を
理解はできませんが、普遍のものです。

階段の1歩は、エベレスト登山ごとく、優しくはありません。
そして頭では登れず、体験するしかないのです。

それは、やがて自分に行きつく階段で、すべてと溶け合います。

気づき、意識、認識が大きく違うのは、階段の立ち位置が
違うということ。そんな相手と、感情にまみれ
話し合っても、言葉は共通言語にならず、
ちんぷんかんぷんの宇宙語になってしまいます。

しかし、あれやこれやの悩みは無駄ではなく、外に向けた視線を
内に向けることにより、必ず、気づきのギフトがあると思います。
すると、その時、な、なんと、悩みの無駄が腹の底からわかります。


偉そうなことを言ってる私ですが、今日、「怒り」「憎しみ」「悲しみ」
と言う感情を、避けることなく、しっかり感じ、抱きとめる体験をしました。

「許す」ことを学んだ、と言えばカッコ良いのでしょうが、
自分の感情の堆積物に「怒り」「憎しみ」があれば、必ず、
何かの拍子にそれらが吹き出します。

意志の力で、コントロールせず、ただ味わい抜きました。

感じて、涙がでて、鼻水も出て、感じて、また泣き、感じ抜く。

いい人ぶらず、わかったふりで自己解決せず感じ抜く。

「怒り」「憎しみ」を人や、ものにぶつければ、ただの迷惑おばさんに
なっちゃいますので、ちょっとしんどいけど、避けることなく、
感情を抱きしめる。

そんなものは見たくないって?
憎むより愛することが大切って?

だって感じるってことは、自分の感情の中にあるって証拠だから
避けても、いつか、また、あらわれるのです。

だったら、感じて感じて。。。。あれっ?消えた?

するとまた出てきて、感じて感じて。。。あれっ?消えた?

だんだん、ゲームみたいになり、アホらしくなり
「イチ抜けた~」

今日のメッセージ
何ともならない事を、何とかしようとするから
問題になるんだよ。
やるだけやったならいいんだよ。
見極め、あきらめの勇気をギフトされたんだよ。
上手くかかわれない人に、上手くかかわろうとするから
悩みになるんだよ。
上手くかかわれない事でOKワッペン貼ればいいんだよ。
離れていくことが自然の流れだという関係はたくさんあるんだよ。
無力を感じ、ただ天を仰げば、空が広がってるだけだよ。
「私ごときが、ガタガタしても、大いなる計らいの前では、
全くお手上げなんだから、全託しよう。」









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プロフィール

Mami

Author:Mami
愛知県在住。
声とリズムと音叉を使い、
ユニークな音楽教室を主催。
趣味:さんぽ、山を見ながらビール?

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