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断薬

お薬やお医者さんとのご縁が、薄まり、
遠くなり、まる2年がたちました。

平成13年2月、旅先の長野県で
呼吸困難により救急入院。

気管、声帯付近は、膿んで腫れ上がり、
声は全く発することができませんでした。

呼吸は苦しく、今までどうやって
息をしていたのか考えてしまうくらい
窓を開けたり、服のジッパーを下げたりして
「死にたくないなあ」と思いました。

救急車の中で医師に何度も
励まされながらいました。

酸素マスクも、もう吸えない状態で
「とって欲しい」と潤む目で医師に
伝えました。

大量のステロイド(その際医師から
とてつもなく強い説明あり)と抗生剤の点滴。

入院し、霊視霊聴などできない私が、
初めて、体の声を聴いたのです。
「薬ではない」と・・・・・

夜も全く眠れず、「助けてほしい」と
心が懇願しても、楽になりませんでした。

でも、「私に関わる全ての人、もの、あらゆる
動植物が今を平和にすごせますように」と
祈ると、息が楽になりました。

次の夜も同じでした。

幼い頃より、病弱でしたが、自然医療への
関心もなく、それっぽいことは、やってはみるものの
症状の辛さに、対処療法を選択し続けてました。

いつも痛いお腹、薬なしでは便通もなく、
痒みや、止まらぬ咳に悩まされ、すぐ、感染症をおこし
骨も折れやすく、「なんでこんな体なんだろう?・・」

元気な人、動いても倦怠感のない人が
不思議でした。

しかし、この入院を境に、勇気をもって
断薬に踏み切りました。

まさに病気は気づきを促し、生き方の
方向転換をしながらはじめの一歩を踏み出す
そんな体感をしたからです。

確かに、今の医師は、受診の際、人の体に
触れることなく、顔をしっかり見ることなく
パソコンにむかってます。

でも、極端に否定する気持ちはありません。

どこかに投薬不要の気持ちがありながらも
受診と言う行為で、救われた自分があるからです。

そして、自我と真我を知ってか知らずかは問わず、
すべての人が生きる事に必死だからです。

気づいたものが変化し、歩き出せばいいのです。

私は、病弱のお陰でいろいろなことに気が付けました。

仲の悪い両親のお陰で、家族の在り方に気が付け
自分の夫との関係、認知症のばあちゃんとの関係を
感謝にしてゆくことができました。

何より両親なくして、この世界で存在体験
できないことに気が付き、両親に感謝ができました。

まる2年たち、断薬をしたことで
あらためて「お薬たち」にも感謝ができました。

未熟な私は、まだまだ気が付きながら、一歩ずつ
歩いていくのだと思います。


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気づき

どんな未熟でもいいんだ。

体験から学び、気づいたら
より調和に向かえるようコツコツ実践。

プライドは謙虚さからほど遠いもの。

感謝を忘れず、ただ素直に謙虚に生きる。

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ラマナ マハルシとともに・・・抜粋

呼吸の制御は心を制御する方法である。

心と呼吸は、どちらも空気の1部であり、
その2つは同じ動きの性質を持っている。

呼吸の源は、心の源と同じである。

それゆえ、1方が制御されれば
もう1方も制御されるのである。

   ラマナ・マハルシ  「静寂の瞬間」より抜粋
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声は、呼吸の表情豊かな現れです。

声は、空間を流れる振動、波動ですが、
紙に描けるデジタル波形というより、
本質は立体で動きのあるアナログな
波動だと感じます。

テレビよりラジオの方が、視覚に頼らない分
相手の状況や心境が伝わってくると
感じたことはないですか?

現実のアナログ的な会話のおいては、
目を閉じ、耳を澄まして、集中し、
相手を感じるような聴き方は皆無です。

聴くとは、耳のみでなく、体全体で振動を
キャッチできます。

気配を感じるのは、体や心の耳がキャッチ
するのではないでしょうか?

普段は、視覚や聴覚に頼り、
いろいろな情報を得ています。

でも、全部を受け取っている訳でなく
その時の自分の都合や心境によって
聞き流したり、見えなかったり、
受け止めたりしています。

さらに、声にはならぬ「おもい」が
発信する波動に応じる情報しか
やって来ないのだと思います。

「おもい」は自分から発する音なき声。

しかし、体はたいしたもんです。

眠りにつけば、ちゃんと耳をクローズ。

心臓は眠らず、ちゃんと鼓動し、血液は
血管を飛び出すことなく、脈々と流れる。

各臓器も黙々と働き、「おい、肝臓、役割
変えようぜっ!」なんて腎臓は言わない。

そして・・・・体は音なき声の「おもい」も、
聴いています。

自分が「もうダメ」と、思えば、各機能は低下し、
「病気かも?」と、思えば病気を呼び込む。

だって、体は親分である、私の声も、音なき
声の「おもい」も区別がつかず、差別せず、
従ってくれるように感じます。

だから、あえてしっかり、声にだし、
「ありがとう肉体さん」「使いまくっていたわらず
ごめんなさい肉体さん」
そして、「これからも仲よくいこうね」

せっかく使える音ある声なら、空間が
気分よくなる調和した言葉を使いたいです。

その空間に、自分の肉体も、愛犬アイシャも
ちょっと弱りかけたシクラメンも、
昨日汲んできた川の水も、重宝してる水筒も、
半分以下になった消しゴムも、
みんなみんないるもんなあ~


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私たちの呼吸法

命あるもの皆、呼吸をしています。

呼吸は空気を、鼻か、口から吸い、
また、鼻か、口から吐きます。

私たちは、この自然な循環を、教えられることなく
生まれた瞬間から身につけています。

普段、意識してはいませんが、いろんな呼吸法を
使い、暮らしています。

例えば、寝ている時が一番わかりやすい腹式呼吸。
吸うと、お腹や背中が膨らみ、吐くと凹む。

腹式呼吸は、歌う時ですと、吸気の際には喉元は凹み
、腹部周辺は膨らみます。

その際、横隔膜は大きく動きます。
これには、筋肉が必要です。

胸式呼吸は吸う時お腹が凹み、胸が広がります。
それほど大きな横隔膜の上下はありません。

腹式、胸式とも、基本は鼻で吸い、口で吐く呼吸法

ですが、時折、日常では口呼吸になって、
「ハアハア」となることもしばしばです。

また、ヨガでは鼻呼吸と言って、吸う時も、はく時も
鼻でおこないます。
これは内臓をマッサージして
いるかのようになります。
とても、健康的な呼吸法です。

そして、もうひとつ、蜜息という呼吸法があります。

これは、骨盤を倒して(ここが大切)おこないます。

吸う時は、腹式と同じですが、吐く時も
お腹を膨らましたまま(ここが大切)の状態です。

姿勢はあらかじめ意識しないと、できませんが
とても安定した、深い呼吸になり、特に
吸気は瞬間にできます。

多分、骨盤を倒した姿勢が、大容量の
空気を自然と吸い込めるのでしょう。

私は自分の歌のトレーニングの際、
これらの呼吸法を先に実践します。

発声が楽になり、自然と唄えることに
最近気が付きました。

地声、ミドルボイス、裏声の
換声点(ボイスチェンジ)が自然になるようです。

私の普段の声はとても低く、若い時は
コンプレックスで、綺麗な声の女性に
羨ましさを感じていました。

高校の選択授業の音楽の時でも
先生から「変な声」と指摘され、歌の自信は
大きく失われました。

そんな私が、長い間、人様に、音楽や歌、リズムを
伝える仕事に就きながら、人前で歌うこともあります。

自分の長所、短所はどちらも、お互いを支え合い
人生の体験と相まっていきました。

だからこそ、できる今のような指導法が
生まれたのかもしれません。

出会いを大切に、ご縁を丁寧に感じて行くことは
たえず、自分の傲慢さや感謝の欠如の見直しに
なっていきます。

悲しみも、苦しみも、孤独も知っている自分だからこそ、
その向こうに隠された出会いや、喜びがあるのだと
思います。

すこし、ズレますが、エネルギー問題が浮き彫りにされ今。

この便利な生活以外でも、工夫を凝らしていける
そんな私たちになれば、今あるエネルギーも
もっと感謝の使用法が生まれるのではないかと
思います。

多分、1番の犠牲者は物言えぬ自然の数々。

人は、鉱物、植物、動物すべてと繋がっていて
それらをサポートし、共生の道を創造するために
「人間」と言うひと時の姿になって、勉強しているのだと
思います。

命ある、すべてのものが、呼吸しています。

おなじ空間を共有しています。

空間には線引きできません。

丁寧な呼吸で共有を感じる。

肉体とスピリットをつなぐ呼吸は
生きている事、生かされている事の証です。
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人生とブランコこぎ

ブランコに乗ったことのある人なら
皆さんおわかりでしょうが、
ブランコは自分でこぎます。

ジェットコースターのような操縦の仕方ではなく
自分の意志と力で、静止状態から
徐々に力をかけ、前後にイスを揺らします。

小さな揺れは、遠心力も加わり、だんだん
大きな揺れになります。

いつの間にか、静止位置をあっという間に
通りこし、前へ後ろへ揺れていきます。

しばらくは力を抜いても、そのまま自然と
動きます。

人生は「オギャー」と生まれ、無垢な
赤子に知識と、自我が加わり、
大人の入れ知恵も加わり動きます。

それはまるで「人生」空間に
ブランコをこぎだす如くです。

小さな穏やかな揺れは、時に激しく
前に行ったら「大喜び」し、後ろに行ったら
「ギャフンと凹む」。

力を抜けば、徐々に止まるのに
揺れ幅に、慌てて、さらに力が入ります。

「もうやだ!」と、降りれば、タンコブか
青あざのおまけつき。

ああ。何たることか~自分でこいでることを
いつから忘れたんだろう?

中庸である真ん中は、退屈すぎて、始めた
人生のブランコこぎ・・・
誰も押しちゃあいませんが・・・
何故か「やめて~」と叫ぶ自我。



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プロフィール

Mami

Author:Mami
愛知県在住。
声とリズムと音叉を使い、
ユニークな音楽教室を主催。
趣味:さんぽ、山を見ながらビール?

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