FC2ブログ
コンテントヘッダー

私のお仕事

「わかっちゃあいるけど止められない」
何だか演歌の歌詞みたいですね。

知っていても、できないから苦労する、
心は本当にコントロールが難しいです。

私の仕事は、声、呼吸、リズムそして音叉を
使いながら、ダイレクトに体に働きかけ、
自己調整をうながすお手伝いです。

声も呼吸も体内を感じられるもので、和みながら
誰もが深い息の仕方を体得できます。

絶対視しがちな感情は、都合でころころ変わります。
大切だと思う心さえ、人それぞれの観念に
支配されています。

でも体は、命の大切な乗り物で、「存在する」
感じは、いかなる時も変化しません。

本質との一体感は、やろうとしてできるものでは
なく、自然と起こるものです。

突然、自分の中から、自我を突き破り、内奥が
あらわれるみたいな感じだからです。

これを目的にするのは、ちょっと本末転倒で
「おまけ」の感じにおこるかもしれないものです。

だから、まずは意識に働きかける前に
体の滞りを流すよう簡単な動き(ストレッチ)をします。

その後、宇宙空間の星々と同じ元素でできた私たちの
身体に、音叉を当てます。
惑星の周波数を用い施術します。

痛みやコリの滞りは50Hzや78Hzの低周波が
とても有効です。

そうそう、音叉といえど、形はバータイプ
フォークタイプ、ヘビーフォークタイプ等々
空間に打つもの、体表に打つもの
体奥に打つものいっぱいあるんです。

こうして、音叉で細胞の自己修復力を促します。
自律神経に働きかける。

また、音を組み合わせ鳴らしながら、宇宙空間
を漂っているかのような気持ちいい施術も
し、(多くの方が恍惚状態で意識が飛んでます)
「ああ、気持ちよかった」と言ってもらえ、私も感謝です。

それから、最も大切な深い様々な呼吸法を
お伝えし、倍音たっぷりの響く発声の仕方を
体験し、リズムで大笑いする。

希望があれば歌唱の指導もさせていただきます。

身体が元気になると、自然と精神は落ち着きます。

修行のような人生を過ごした方も健やかな
おおらかな循環を取り戻して、
お気楽の中にも、内省できるしなやかさを
養っていける、そんなお手伝いが、
私のお仕事です。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

息をしてるから生きてる私たち

普段、何げなくしている呼吸ですが、
「息」を意識して生活する事って
あまりないんじゃないかなあ?

階段を駆け上がったり、走ったりすると
「ハアハア。ゼイゼイ。」
呼吸が早く、荒々しくなります。

すごく驚いた瞬間は、呼吸を止めます。
「あっ!」

でも、それが何呼吸か?なんてどうでも
よくて息ができれば生きていけます。

この世に生きるすべてのものが、呼吸を
忘れる事はありません。

明日用の息や、前回ため込んだ息をしている
人はどこにもいないです。

今、ここで息をしてるのです。

頭の中は、昨日の事に悩んでいても
息は今にあります。

未来をどんなに不安がっても
息はここでしています。

そして、息は吐けば必要分の空気が
自然と体内に取り組まれます。

そしてさらに、空気は無料です。

それがないと生きれない。

呼吸する私と、空気とのやり取りは
平等で、国や宗教に関係なく、
国土面積を争っても、空気配分を
争うことなど不可能です。

空気空間は愛なんですね。

今日は呼吸の仕方や倍音を書く予定でしたが
脱線しました。

自然な流れは、出せば空きの中に
必要分が入るらしいです。

でも、私たちはどうも、貯えがないと不安に
かられてしまいます。

「もしこうなったら・・・」と、悪い想像しはじめると
エネルギーは消耗します。

そんな時、空気、息を感じませんか?

おどおど息をしている人はいません。

堂々と呼吸し、いかなる私でもあっても、
息を吸い込み、いらないものを吐き出して
いることに「あっぱれ」

循環してる私に「ブラボー!」



このページのトップへ
コンテントヘッダー

不生不滅って?

超有名な般若心経。

三蔵法師として名高い、唐時代の僧である
玄奘が、インドから持ち帰り、漢訳されたもの。

私はに二十数年くらい前から約10年間、
地元知多の遍路道、
本家四国の遍路道、高野山等々を
弘法さん大好き人間として
歩きました。

だから、自然と心経は覚えてしまい、意味など
解らずとも、呪文のように唱えてました。

その中に「不生不滅」の文字があり、
今考えると、何故かそこはエネルギッシュな
高らかな声を発し、さらに、「ぎゃあていぎゃあてい」
からは、力がみなぎる感じでした。

もちろん、若さはバカさも伴い、ご利益を
さんざん願いましたが、ほとんど叶いませんでした。

だから、「願った事は叶わない」、叶わない100%
の成功です。

その後、様々な体験、気づきを重ね、
「不生不滅のエネルギー」これが私の本質
それは、ゆるぎない確信であり、言葉で説明
不可能です。

「証拠を見せて」と言われると、不可視な
世界を「確認」という行為でしか納得できない
自我の悲しさを感じますが・・

何かを自覚できるのは、意識でありますが
内なる感覚は言葉にした瞬間、思考力に
はまり、感覚説明する段階で、今という
場所からも外れ、個人の物語に
なってしまう気がします。

でも、不思議なのは、何故私たちは墓参りを
するのでしょう?

この辺りは、土葬はないから墓には
お骨はありますが、死んでおしまいなら
骨は骨でしかないはずです。

きっと、深いところで不生不滅は誰もが
知っているんですよ。

無宗教の人でも、墓参りを嫌がる人は
少ないです。ちなみに私はめったにいきません。

「私のお墓の前で泣かないでください。
そこに私はいません。

よくぞ、歌ってくれました。
見えない世界に移行したエネルギー体。

そうそう、思えばいつもそばにいます。どこでも。

この頃、何を選択するか?と迷う時、未来の
妄想はやめ、今いい感じ?と体に聞いて
判断することが多いです。

何とも計画性に欠けているようで成り行き任せに
感じますが、これはこれでけっこう
いいもんです。

将来の貯えや、家族構成、健康など
熟考につきものの不安材料は、生きる力を
弱め、根拠のない妄想を強めます。

脳に在る問題は対処できませんが、
起きた事なら、受け入れる以外ないから
なんとかするはずです。

「私は無理~」って言っても
あなたも不生不滅のエネルギー!
すごいんですって!
このページのトップへ
コンテントヘッダー

家族Ⅱ

多くの人は、自己の本質である永遠の
エネルギー、命を知らずに肉体の死を
むかえます。

「自分とは、両親から生まれた子供であり、
人生の体験から出来上がった性格であり、
ストーリーを語る心を持った人間だ。」と
信じています。

それは、思考が扱っている小さな部分ですが
あまりに、強烈でリアルに感じる現実は
私たちの感覚を狭め、特に家族に関しては
役割や世間体の観念が手放せません。

自己の本質に触れる話より、自作の家族の
物語を語ったり、自己判断の長所短所を
語ったり、これが、多くの人のコミュニケーション
です。

だから、当然のように比較や羨望が生まれます。

「私とは?」と聞かれても、
「これこれこんな家族があり、仕事があり・・」
と、状況説明が始まります。

「私は、あなたとも、あのワンコとも同じ
ひとつの大いなる命です。」
なあんて答えたら、
「何の宗教?」
「スピリチャルにはまってんの?」
「訳がわからん?」と反応されるかも
しれませんが、比較や羨望は生まれません。

私は、一人一人が自分の本質に触れる事
(体験)が、今やいかに大切かと、思っています。

「自分を愛する」という当たり前のことも、機能不全の
家庭に育つと、難しく感じてしまいます。
愛せる自分になれるよう頑張らねばと、
ますます思考は自分を責めるのです。

両親も自分を愛する事を知らず、条件付きの
愛しか解らず、それでも良かれと必死で
子を育てたのかもしれません。

そして、その両親のもとに生まれたからこそ
気が付ける「機能不全」。

自己信頼に欠ければ
変わりゆく人やモノを見て、コントロールできない
自分の中の不安をあおり、変わらないものへの
しがみつきを試みます。

でも、しがみつきをとことんやり。へとへとになれば、
それは形あるものへの捕らわれた自身の心を、
映し出しているとわかります。

この世界は、中途半端ではわかりにくいようです。

「変化」は誰かの都合に合わせて起こるのでなく
ただおこる時に起こるものです。

思考(エゴ)は、はぎ取られた自分の人生の
1部しか感じる事ができませんが、大いなる
内なる命は、全体総和の1部を生き生きと
生きてます。

でも、死んでからわかるより、生きながら
意識をそこにむけ、生活し仕事をすることで
集合意識の大転換が起こるのでは
ないでしょうか?


このページのトップへ
コンテントヘッダー

家族

家族、この容易に断ち切る事のできない
縁の中、苦しむ人はたくさんいます。

暴力的な家庭に育ちながら、結婚相手も
暴力を振るうという、まるで追体験を求める
ような出会いになる人もいます。

「この人さえ変わってくれたら、幸せになれる」
と、疑いなく、相手の変化だけ祈る人もいます。

なぜ、私たちは、この小さな社会とも言える
家族関係において、幸せになれないのでしょうか?

宇宙の差し出す、人間関係は、なぜ厳しく
困難なものがたくさんあるのでしょうか?

地球という星で、それぞれ自我の肉体をしっかり
纏い、それでも「ささやかな幸せ」を求め、
依存や優越感をごちゃまぜにし、自称「愛」の
名のもとに、それぞれのストーリーで、関係を
持とうとすると・・・・・・・く・る・し・み??

私たちは、楽しいこと以上に、辛い事を
しっかり記憶しています。

記憶だけでなく、学びもしています。

「困った人」が、師となり、変われるのは
自分の想いだけである・・と、時間をかけながら
気づく。

ありのままに・・は、私だけでなく、あの人も同じと、
認められない悔しさと怒りの後、あきらめの中で
悟る。

犠牲者のように感じても、人生においては
自分が唯一の主役です。

自分をいかに相手に投影しているかに、気が付くまで
外に目が向いて、問題は内には感じられないのです。

望ましいものを求めるなら、内なる変化、気づきが
いかに大切か?

この星は、気づきのための場、霊性進化の場。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

お知らせ

明日より、我が夫のヒロさんのブログが
新しく、さらに楽しくなります。

素の和音トップページの右下のNews Topics内
ヒロサンブログもしくは、トップページ左上ギャラリー
をクリックしhirosan’sよりご覧ください。

今日は節分ですね。
我が家は豆はまきません。

多分、アイシャは、撒けば、かたっぱしから
食べる可能性大。

だって今朝も、ごはんをぺろりと平らげ、
テーブルに着席したヒロサンには、
「わたし、ごはん、まだなんです。」って
目をし、私が、「食べたところ!」って
言ったら、「ばれましたか?」って目をした。

しかし、我々は動物の、シンプルさに癒され
単純さに大笑いする日々です。

笑いはいいですね。

残虐な事件を目にする度、いかに極度の
機能不全に人間が捕らわれているかを
感じます。

そんな中でも、「シリアで知りあった。」
こんな、キャスターの言葉に、負の連鎖に
持ち込まない宇宙のナニカを感じました。

「鬼はうち、福もうち、」外も内も、本当は
ひとつながりなんですが・・・

一人一人の平安がなければ、どんな集会に参加しても
平和を感じる事ができません。

「鬼はうち、福もうち」「笑ったら、鏡に笑った顔」
このページのトップへ
このページのトップへ
プロフィール

Mami

Author:Mami
愛知県在住。
声とリズムと音叉を使い、
ユニークな音楽教室を主催。
趣味:さんぽ、山を見ながらビール?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR