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意識転換はいつ起こる?

私は、数学と聞くだけでジンマシンが出そう
なくらい、「数学」が、嫌いな学生でした。

授業でも、取り組む前からあきらめており、
居眠りするか、さぼるかの不真面目な態度でした。

偏見とは、恐ろしいもので、数学教師は
変人の塊のように見えましたし、いつ
シャンプーしたのかわからないモサモサの
髪が、異様でした。(すみません)

いまや、音楽に関わる職業を持ち、音叉を勉強し
数学とのつながりを感ぜずにはおられません。

方程式の奥に潜む、宇宙の神秘。

机上の学問としてではなく、生命体の常識として
老いも若きも、楽しく、生活を通し、自然に触れながら
学べるなら「とんでも」「びっくり」の発見になると
思います。

どんなことでも、興味を抱いた時が、知りたい時。

興味のない事は、勉強しても苦痛になります。

太ると、痩せたいと思い、ダイエットや食べ物への
関心が高まります。

病気になると、身体に関心が集まり、治療法に
意識がむきます。

さらに、苦しみの中、万策尽きて、やっと、
自力から、「おまかせ」への意識シフトが
始まります。

私たちは、山あり谷ありの人生を歩きます。

どんな人でも、「なんで?」と、理不尽さに疑問を
発します。

なんで?⇒興味⇒あの手この手⇒意識転換

数学から、回りくどい話になりましたが、
「思い通りにならない」と、思った時
私たちは、まず、外に答えを探そうと
あの手この手を考えます。

「いま」になんて、じっとしておられず、
「ここ」になんて、苦しいだけになり、
現実への抵抗状態は、「いつか、どこか」
に、理想や夢の到達を疑いません。
(あの手この手)

抵抗こそが、苦しみの原因であるのに、
「ありのまま」を、嫌がってしまいます。

「いま」に在るとは、じーっと洞窟に
こもって瞑想するような事じゃあないんです。

「いま」を針先くらいに考えると、そこに
悩みはないのですが、「いま」を広げると
あれこれ出てきてしまうんです。

「今、我、ここにある」と、息に意識を向け
吐いたり、吸ったり、止めたりしてみてください。

その時、思考だらけの中から、隙間が
感じられます。

「存在」と言う感じがわきます。

「本当に?」「考え抜く方がいい結果では?」・・・

あのう~、理解した後、やるんじゃないんですよ~。

やってみるから、わかるんですよ~。

言葉に表わせないような「リアルさ」。

やってみるから、わかるんです~。

「いつやるの?」
「いまでしょ!」
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今、この肉体と共に在る・・時間は幻想って言われたって・・?

ただ目の前に起きていること以外、
私たちは対応のしようがありません。

起きる事には、楽しい事も辛い事も
あります。

選ぶことも、抵抗することもしたくたって
叶いません。

「今ここ」に意識を向ける事が、どんなに大事かは
よく聞くし、そこらじゅうの本にも書いてありますが、
実際、感情にまみれ動揺すると「知っちゃあいるが
できないんだなあ~」・・・・・・そうなんですよね。

理不尽な事や、衝撃的な出来事があれば
強烈な記憶になり、ついつい人生を計画し、
コントロールし、「嫌な目に合わないよう」
管理しなきゃあって気になちゃうんです。

目の前に起きる事は、予測できず、
瞬間処理もその場その時の精いっぱいです。

どんな計画も、心の準備も
有効だとは言えません。

逆に、余計苦しみや悩みの種をまくみたいな
事もあるんですよね。

私は親友の肉体からの旅立ちの瞬間が、
あまりに突然でした。

「こんな形で人は逝くのか?」
その時、悲しみ以上の「天晴れ感」が湧き
予測不能の感情との対峙になりました。

「マミくん、人生はアドベンチャーだよ」と
言われたようでした。

何をどんなに悩んでも、目の前のこと以外
対応できない現実。

ワンネスと言う言葉をよく耳にしますが、
それは、きっと、おおいなるひとつの命に、
我々は繋がりながら生かされ、
誰一人分離することなく存在してる事を
実感をする人が、増えてきた証拠ですよね。

一人一人が個性をあらわし、関連性を有し、
全体のかけがえのない(同じもののない)
一個として、瞬間瞬間、命を躍らせている。

今と言う瞬間の気づきはイノチのダンス。

どんなに、「恥」や「苦」をともなっても、気づきは
「今」におき、まさにそれがワンネスへの理解に
繋がっていくのではないでしょうか?

勉強で理解するのでなく、肉体と共に体感する
「気づき」。

あの人も、この人も、あれもそれも全部
気づきへ誘う為の、配役ではないでしょうか?

だからこそ、条件が整っていないよう設定して
あるのではないでしょうか?

そして、次々起こる現実に、冒険者として
未知を既知にしながら、生きて
行くのではないでしょうか?

大きな痛手や、苦しみを伴いながら
「気づく」のが、人間の性かもしれませんが
今、時代は大きなうねりの中にあるようです。

それぞれの小さな気づきの泡は、
うねりの後押しを受け、大きな泡となり
空間を流れてます。

その泡を、自我の一刺しでつぶすか、
さらなる「気づき」を重ね、包含力のある
泡にするのかは、一人一人の意識と
行動に関わっているのだと思います。

私自身も、こうして文字にしながら
「いつか、あそこ」への思考暴走を
しないよう、呼吸と言う瞑想を丁寧に
しようと思います・
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音叉(周波数)施術は近未来の医療

私は音叉の勉強をしています。

増川いづみ博士のもと、同じような意識を
持つ同志と共に、学んでいます。

医学、哲学、音楽、食物学など様々なジャンルを
網羅した奥深い勉強会ですが、何より根底に
「万物は繋がっている。」という、真理があります。

一般には、まだまだ認知度の低い周波数の世界。

まして、音叉施術(音叉ヒーリング)と聞くと、
怪しい世界を想像する人もいます。

しかし、これは本当にすごい世界です。

副作用や、投薬のない、施術で、何より
自己免疫力が自然に上がります。

私は近未来の医療だと、信じてます。

肩こりや、頭痛、腰痛はびっくりするほど
軽減します。

絶対と言う言葉はつかえないので、まして
医師でもない私が、「治す」とは言えませんが・・

宇宙空間を漂うような音の響きは
最高に気持ち良いようで「ベッドにはりつき
宇宙にいた」とか「眠っているのかわからないが
懐かしい音がはっきり聞こえ、すごく癒される」など
我が家のお客様は言われます。

音叉の素晴らしさは、肉体同様に精神体、そして
魂にも届くところでしょう。

でも、お腹ペコペコの人には、一杯のご飯やパンの
方が幸せを感じます。

切って血が出た個所にはバンドエイドか
縫合手術が必要です。

狂信盲信の世界とは違い、科学的にも立証された
周波数の適用は、確実な治療に関わる時が
間近だと私は信じています。

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あるがままと自我の受容レベルは大違い

勘違いしている私たち。

人より勝る何かが自分にある事で
私らしさを強め、人より劣る何かで
コンプレックスのような自分色を
重ね、さらに体験や環境による
思い方で、「私とはこんな人間」と
決めつけてしまう。

さらに、その小さな枠組みの自分が
「あの人は多分こういう人」とか
「それはきっとこういう事だ」と
小さな意味づけをしています

幸せを求めながらも、たえず何かや誰かと
比較することが止められず、比較が常で
ある事にも、無意識になり、自分の思考癖に
気が付けません。

私らしさを強めている自我を見つめて
見ましょう。
「ああ~やってる~」

善悪評価や自己採点もや~めた。
見る為には、ちょっと離れないといけません。

新聞紙に目をくっつけても、記事は
読めないもん。

見えるということは、その自我とは別物の
意識がある事ですよね。

それを見てるのは、いつも「今」。

意識でフォーカスするのは「今」。

自我(思考)がフォーカスしてるのは、いつも
今以外。

今にいたら考える事はできませんよね。

感じるだけですよね。瞬間瞬間。

小さな自我の思考をこえた的確な発想や
効率よい行動は、「今」と共にあるからこそ
やってくるのだと思います。

静寂、沈黙の最奥のエネルギー。

ただ、目の前のものは「そうあるだけ」。

「ああだこうだ」の意味はないかもしれないし
解る訳ないんだよね~。

自我の受容レベルはちっちゃ~いんだよ~。


思考は苦しみを伴い、答えをひねり出します。

そして考え過ぎれば、助けを求め、知らず知らず
外のエネルギーを奪おうとします。

でも、「今」にあることで感じる喜びは
内から外へ溢れ出すようなものではばいでしょうか?
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2015年はじまりました。

おはようございます。

2015年未年、今年も意識は「今」。

頭の声や妄想する私と本当の私は別物です。
「うそ~どっちも私だってば~」
「う~ん確かにそう思うよね~」

頭の声(自我)」は、自分がいつも不完全である
と、疑いません。

あれやこれが整うと、きっと幸せになれる事を
信じてます。

欠乏感が必要なのです。

でもね!その声を聴いてるということは
声を発してる人を観察し、傍聴してる誰かが
いるということです。

そうそう、それが意識体のわ・た・し

そして、聞いているのは「いまここ」で。

「いまここ」で誰かが感じてる。

「いまここ」の静止した静寂の最奥に
脈々と叡智の川が流れてます。

過去や未来を往復してばかりでも
必ず中心はリアルな「いまここ」からです。

だって、過去も記憶の中だし、
未来も予測の中。・・・頭の中にある。

ここに取り出して見えないものなんです。

だからその場の自分の雰囲気次第で
悪くも良くもなるし、時にはぼやけてしまう。

「なあんだ」記憶や予測に苦しみながら
今を生きるなんて「もったいない」・・その通り!


去年の私はスイングするブランコみたいで
「いま」を通り過ぎ未来や過去へ行ったけど、
「さあ気がつこう」通り過ぎたら戻ろう!

「ようこそ今に!」「ようこそここに!」
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プロフィール

Mami

Author:Mami
愛知県在住。
声とリズムと音叉を使い、
ユニークな音楽教室を主催。
趣味:さんぽ、山を見ながらビール?

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