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御嶽山お鎮まり願います。

岐阜県と長野県にまたがる御嶽山。

昔から神聖な山として、信仰を集めてきました。

覚明行者、普寛行者の開山から、その有力な
弟子たちが行者として多くの講社を開いてきました。

登拝は、講社ごとに、先達が先導し、信者たちを
お山に導きます。

我が家のご先祖も、石像になって8合目に祀られ、
今でもその、流れの講社が活動されています。

その息子(ヒロサンの曽祖父)も、加持祈祷のできる
行者で、近所の病人やけが人を治療してきたそうです。

私たち夫婦は、信者でもなく、他人事のように
そんな話を耳にしてきました。

ご縁からか、どうなのかはわかりませんが、
私はかつて何度も、御嶽山に様々なルートから登山しました。

懐深い神仏混交のお山。

動植物豊かで、美しい池、たくさんの滝があるお山。

薬用植物からつくられた「御嶽百草丸」で有名なお山。

私にとっては、特別な想いのあるお山です。

今回の、火山活動により、大きな被害が出ています。

ヒロサンと共に、驚きは隠せません。

どうか1日も早く、すべての取り残された人たちの
救出がされますように。

胸傷め、家族、友人、知人の帰りを待ちわびる人たちが
体調を崩されませんように。

救出作業にあたる人たちが、安全に活動できますように。

天に召された人たちの、痛み、恐怖、動揺、苦しみが
一刻も早く癒され、光の中に戻りますように。

どうか、お山よ、お力を鎮めてください。
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問題解決法は自分しか知らない。

次々、起きてくることが悲劇だったり、
「この先は、いったいどうなるのか?」と
自死すら脳裏をかすめる時。

やってもやっても、報われず、
対応能力もここまでとなり、自分の思考力も
底をつく時。

そんな時、私たちの行動は様々です。

やけくそになる。
愚痴を言って、人や世を恨み悲しむ。
幸せそうなモノを破壊する。
闘争的になり、力で何かを勝ち取ろうと試みる。
無力感にさいなまれ、ひきこもる。
自力の限界をとことん知り、生かされている事に
少しずつ目覚める。

気持ちのおさめ方は、いろんな段階がある気がします。

肉体、精神、魂の三味一体である、自分への理解は
必ず、どこかのタイミングで始まります。

それは、その人にとって、ちょうど良い完璧な
タイミングで「自分自身を知る」ことが、始まります。

この世のすべては、波動で、この私も波動で、固有の
周波数を受けたり発したりしてます。

それぞれが、似た周波数に引き寄せられ、また
ひきつけているのかもしれません。

「私を知る」ために、わざわざ、困難を引き寄せ、
苦労状況を呼び寄せ、さんざんあがいた揚句、
「あっ、この状態を変化させるのは、外や、他人でなく
私自身だ。自分の考え方や思い方を変えてみよう」と
決意するのではないでしょうか?

原因不明、治療困難な病になっても、神々しい
生き方の人に出会いました。

傍からのぞいて、決して上手くいってないような
環境にあっても、明るく、あたたかく、漂々と
軽やかに生きる人に出会いました。

素敵な深い愛ではぐくまれ、恵まれた中、
傲慢さもなく、謙虚に、でも、人生を十分に
楽しむことに旺盛な人に出会いました。

異口同音・・私を愛してる。人生を楽しんでる。
・・・・でした。

この世には、ポジティブ、ネガティブと明確に
線引きできるものはなく、ちょっとした周波数の違いを
それぞれの状況や都合で明暗化している
のではないでしょうか?

そんな思いの周波数は、計れず、確認できませんが
ちゃんと、気が付くことができます。

感情と言う、ナビがあるからです。

表面的な考え方より、潜在的な感情は正直です。

そこで、染み付いた正義感や小さい頃からの
オリジナル観念や宗教観、罪悪感、責任感など
あらためて覗く作業があらわれます。

罪悪感や宗教観は恐れの属性があり、何年何十年
何万年と、細胞に張り付いた、めくっても幾重にも
重なるしつこいものです。

この受け継がれ、語り継がれた「恐れの素」は
はがされないよう、自我が防備してます。

しかし、「このなものいらない」なんて言うのは
失礼な話で、ながいことこの周波数と共振して
きた訳ですから。

感謝はすごい消しゴムです。

難しいことがわからなくても、感謝の力は
減らない消しゴムと一緒です。

今日のメッセージ
悩みは、悩みと言う固定化したものが、私たちの中に
あるのではないのです。
何か、気がかりなことを思い、考えだしたときだけ、
やってくるものです。
そんな時、想像力は恐れを土台にするので
、我今に非ずとなり、未来志向の予期不安が
頭の中で疑いようのない存在になるだけです。
わざわざ、その恐れの周波数と共振し、
自分で掴んで、対策を考えてしまうのです。
忘れていれば、ないのが悩み。
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ダイエットは自らが飢えに追い込むストイックな行為?

ぷよぷよしたお腹の肉が、大学ノートの厚みから
百科辞典の厚みに変化しそうなこの頃。

私が「すごいわ。このお肉」と、ヒロサンに言うと、
「俺もすごいぞ、ほれ」と、美を達観した(?)会話に
なる。

今や日本人の生活は、飢えからほど遠い。

‘飽食の時代’と言われ、何十年かになった。

テレビは、面白おかしく、大食い女子を取り上げ、
食べても、食べてもまだ食べれる、細身の体の女性
を、続出させている。

食べっぷりは、あっぱれだが、量の多さは、
びっくりを通り超える。

視聴率アップの欲を満たすため、番組制作は中身なんて
あまり関係ないようだ。

空気を吸っても、水を飲んでも太る、なあんて人から
見れば「ズル~イじゃないか~」って聞えそう。

しかし、大食いが番組として成り立つのは
不思議としか言いようがない。

まあ、痩せているにも拘らず、大食だから
人の好奇心はくすぐられ「あの人の体は
どうなってんの?」と思うのかなあ。

そりゃあね。細い方が、何を着ても似合うかもしれないし、
動きも軽快に見える。食べても、太らないなんて
いいとこどり過ぎるかもしれない。

ダイエットを目指す人の真逆。

おデブや、ふくよかなのも健康に問題ないのなら
私は、何だか優しく寛容に見えるし、包容力を感じる。

でも、本人からすれば「カッコ悪い」と自己診断した時から
この体以外をめざし、奮闘がはじまるのかもしれない。

目指すのは納得いく体重まで。

だから、これといった目標はあいまいなものに
なっている。

ダイエットは、程よい緩みが、地道な継続になるようだ。

あまりにストイックになりすぎると、心の筋肉も
しぼんでしまう。

個人の好みで、どっちも悪くないが、中身磨きが
何より私たちの美しさを光らせるんだよね。

外を絞り上げても、中を磨き上げなきゃあ・・・
「どうやって磨くかって?」
・・・まずは、あるがままを、大いに愛することかなあ!

人はどこまでも比較の世界に身を置いているから
視覚はついつい比べちゃうんだよね。

食べられないひもじさの中では、体型なんてどうでもよく
太い方が豊かに見える。

食べ過ぎの時代になると、体型が気になり
痩せている方が、自らを意志の力でコントロール
できてるみたいに感じる。
溢れる食欲を、自らの意志で抑え、飢えに向かう
ダイエットと言う行為が登場したんだ。

今日のメッセージ
でもね。食べるってすごく嬉しいこと。
味覚があればこそ、嗅覚があればこそ、味わえる「食べ物」
あらゆる感覚を持った故に、食事の行為ができます。
美味しいって感じるのは素晴らしいこと。
一口食べては、「ありがとう」って味わうと、ちょうどいい
体重体型におさまるかもしれませんね。

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裸で生まれる私たち

肉体が寿命を迎える時、私たちは火葬されます。

いまだ土葬の風習が残るところもあります。

その際、私たちは裸ではありません。

死に化粧をされ、服を着せられ、見送る人が
ぎょっと、ならない姿で旅立ちます。

他の動物たち同様に、裸で無防備なまま、
生まれてくるのに、なぜか人間だけは
生まれてすぐに服を着せられます。

着衣は、最初の自己防衛で、自己保存でもあります。

もちろん、身動きのできない赤子の体温保持の
防寒でもありますが・・

野生の馬なら、うまれてすぐ立ち上がり、翌日には
走り、群れの移動について動きます。

そうしないと、命を落としてしまうし、動くことで、
寒さの中、体温を上げる事ができるからです。

人の成長は、それに比較し、超スローです。
目が見えるのも首が座るのも時間がかかり、
まして立って歩けるまでには、様々な成長過程が
いります。

サバンナで出産したら、すぐに喰われちゃうよ~

そして大きくなって、歩けるようなっても、裸族でない
限り、裸なんてありえません。(逮捕されちょうよ~)

て、事は、服を着たその瞬間から、恥の観念を
身につけられるのです。

物騒な世の中で、服のポケットに、怪しいげなものを
隠し持っているなんて人が、もし、いても・・・

皆、裸ならその心配はありません。

服を着用する行為は、身を隠すことにつながり
用心深さや恐れも増大させたかもしれませんね。

そうして、だんだん「人の目の中に住む私」が
確立されたのかもしれません。
私はどう見られているのか。
私はどう見られたいか。って具合にです。

銭湯なんかでは、「裸の付き合い」なんて
おいちゃんたちが、親しげに会話してるシーンを
見かけますよね。

多分、お湯に浸かって、身も心も緩んだだけでなく、
服から解放され、生まれたての姿に戻ったことで、
潜在的に、限りない心地よさがわかるんじゃあないかなあ?

裸は、お互い安心を感じられる肉体的証明なんですね。

しかし、私は、裸族推奨派では、ありません。

今日のメッセージ
私とあなた。この区別は皮膚から向こうが私以外。
しかし、さらに衣類をまとっているので、正確には
服から外側が、私以外になります。
今や、服は、防寒や防衛だけでなく、我がアイデンティティ
にかかわる、センスを問われる物。
大切な飾りなのです。
鳥なら、大きく羽を広げカッコつけますが、我々は
服で着飾るしかないのです。
ますます、中身や人格はそっちのけになり、
外側に意識を向けさせる状況をあえて作り、
比較の世界にはまりこんじゃったのでしょうかね?
服以外でも、比較の世界がなければ、こんなに
物は売れなくなっちゃうよね!
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人生の駄賃

私の気持ちをわかってください。

わかって欲しい私の気持ちが、ヒートアップ
すると、私たちは相手に対して、自分の気持ちを
ぶつけます。

「こうして欲しい」と願う思いも、相手の反応次第で
「こうするべきだ」と、相手を責めてしまいます。

自己表現にも自信のない人は、無力感から
やがて、怒りを暴発させるかもしれません。

もし、何らかの理由で、相手に、傷つけられたと
感じている人は、自分と同じように相手も
痛みを味わって欲しいと思うようになります。

理不尽きわまりなく、傷つけられたと感じる人は
復讐心は、道徳心や理性が抑えますが、
せめて、相手が罪悪感にさいなめられるよう、
祈るかもしれません。

私も、かつて経験あります。

しかし、相手を責める思いに、自分自身が、
がんじがらめになっている事に、気づくまで
芋づる式に苦しみを集めてしまいます。

チンチンに沸騰した、心のアッチチを、冷ますのは
自分の感情を観察する内なる自分の登場によります。

相手にばかり向けていた思いが、
「なんでこんなに怒ってるんだろう?」
と、自分に向けられた瞬間、変化します。

怒りの正当性、疑いのない絶対的被害者意識から
「何故、相手はその行為を私にしたのか?」を、
追求していたのが、やがて、いつの間にか、潜在的に
ある自分の悲しみや、コンプレックスに
行き当たるのです。・・・・ここまでくるとラッキー!

傷つき、葛藤し、重荷を背負い、・・・・・
でもね、でもね、その分人生には駄賃がいっぱい
いただけます。

今日のメッセージ
昔、馬の背に米俵2俵を乗せる、このお米の単位を
壱駄と呼んだそうです。
壱駄は馬の背左右に1俵(60K)を乗せるから、
計120Kです。重~い!
そのお使いのお礼に、渡したお金を駄賃と
言ったようです。
人生の駄賃
・あるがままを許す心の変容
・変われるのは自分だけだと深く理解
・いろんな人の存在のお陰で深まる世界の認識
・ありのままの私を愛する重要性
・いかに感謝することが大切かを実感
・気持ちの豊かさが周囲の豊かにつながる理解
そして何よりも私が私と言う存在に対してますます
理解を深めることになりました。
めでたし。めでたし。

ホームページのギャラリー内、hirosanブログにも楽しい
写真ありますよ~
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生きる目的って?

生きる目的とは?
もし、必要とするなら、皆、自分自身で決定してます。

天から与えられたミッションがある、と考える人は、
すべきことに情熱を傾けるでしょう。

なにか目標にしたい人間像に向かう、と考える人は、
理想の私に向かい邁進するでしょう。

それぞれの役割があって、機能し成り立つ社会も
事実、現存してます。

自分のライフにおいて、目的や使命を欲するなら
それは天からの賦与というより、個人的な意思決定では
ないでしょうか?

ただ生きることが、人生の目的。生きる=目的。

その途中、モチベーションを高める為、目標、目的
使命感を引っ張り込んで、人生を創造的に彩る。

こんな風に今の私は感じます。

目的や使命を固定化した、そんな制限された思考の中では、
起きる事の意味付けを必要とし、‘生きる今と言う瞬間の感覚’
を感じにくいこともあるかもしれません。

自分自身が喜びに溢れた存在である、と感じるのは
自分しかできず、「今」しか体感できないものです。

条件なしの内側から鼓舞されるような喜びの状態です。

周囲を見渡し、どんなものでも、そのささやかさに満点の
感謝で満たせるのは自分以外いません。

不足や文句を浴びせるのも自分以外いません。

どちらが自分を満たせるのでしょうか?

ささやかさに見る満点の感謝、喜びこそ、内なる
見えぬ大いなる意識体である本質と一致した
状態ではないでしょいか?

それは、使命も目的もありません。

もし、目的地を定め、人生の旅に出るならば、
道すがら出くわす、ひとつひとつが、まさに
宇宙にオーダーし、魂の望んだことかもしれないし、肉体を持った
からこそ、味わえるあらゆる感情かもしれません。

もし、様々な出会いや事柄に、意味が必要なら、
後から都合よく意味を付け加えてもいいし、
自分が脚本家で主役なんだから、しっくりくるよう
書き上げればいい。

飛び切りの喜劇か悲劇か?
たんたんとした物語でもよし。
いあや~喜び溢れたおちゃめな神遊び劇もいいなあ!

生の探求、新たな冒険ゲームの為、この世にもし、
やってきたなら、私の外に神様がいるのでなく、
我がうちに神様がいるのかもしれません。

私たちは決して、無力ではないし、怖がりの
臆病ものでもないのです。

忘れてしまった神性復活が、それぞれにやってきた
気がしてなりません。

今日のメッセージ
嫌な感じになったら、重く考えず、その瞬間は深く味わう。
味わって、お腹がいっぱいになったら、ごはんの様に
手を合わせて「ごちそうさまでした。」と、
自分で終了サインをだす。
そして、その後、さらりと軽く行動し、深呼吸を3回。
「さすが、自分。すごいな、自分」
誰が何と言おうと、人はすぐ忘れる事を、肝に
命じる。
5日前の夕食をすぐ答えられる人は、少ない。
10日前だと、ほとんどいない。
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アイシャとマミの二人ごと

アイ・・・「あんたってよく笑うよね
     そんなに面白いことある訳?」

マミ・・・「なくても、笑えば愉快になるんだよ。」

アイ・・・「引き寄せの法か~」
     「でもさ、一人で突然笑い出すから、アイは
     びっくりしちゃうよ」

マミ・・・「悲しみに悲しみ注いでも、薄まらないでしょ。
     世の中、暗いニュースの報道で、みんな空を
     見上げて、お天気なんか変だなあ~ってなってる。
     集合意識が問題に向くと、感情は重く暗くなっちゃう。
     そんな時・・・・・・」

アイ・・・「そんな時?えっ?どうするの?」

マミ・・・「笑うの。そして、笑おうと思えば笑顔になる、すごい
     口角を持ち上げる表情筋の仕組みに、感謝する。」

アイ・・・「だから、ありがとうって言ってるんだね。」

マミ・・・「うん。感謝は特別なことがなくても、今あらゆるところから
     発見できるものなの。人はね、感謝が湧くとき、瞬間に
     エネルギーの周波数が変わるの。」

アイ・・・「私の存在にも感謝してるんだ?」

マミ・・・「あ・当たり前だ~感謝を忘れるとアイの
     やっかいさばかり目立つ。
     ねえ、あんたは私に感謝してる?」

アイ・・・「??わかんないけど大好き!」

今日のメッセージ
気象異変、政治不安定、紛争、いじめ、不和・・・
ここを、いくらいじくっても、抵抗しても、意識を向ける分
消えることなくさらに現れる次元。
私たちは、まず自分の中に安心と平和を「今」「ここで」
感じ、ささやかな見落としがちの当たり前に思っている
日常の中に、感謝をみつけ、見つけた自分を褒め、
「生きてる」すごさを感じたいです。

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プロフィール

Mami

Author:Mami
愛知県在住。
声とリズムと音叉を使い、
ユニークな音楽教室を主催。
趣味:さんぽ、山を見ながらビール?

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