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私たちの出会い

何故めぐり合うのかを、私たちは何も
知らない。

いつめぐり合うのかを、私たちはいつも
知らない。

どこにいたの?生きてきたの?


         「糸」・・ 作詞中島みゆき

出会いを、縦糸と横糸が織りなす布に表現したこの曲を
いつか歌いたい。
私たちは、あらゆる表現ができる肉体をいただいた。

年齢の若さを失った今、わたしにとって「出会い」は、
やみくもな期待をすり抜け、「会うべくして出会う」、
ご縁と言う、壮大で完璧な宇宙のシナリオを感じる。

時間や言葉を超えた出会いがある。

懐かしく心地よく涙があふれそうな出会いがある。

今日のメッセージ
あなたに出会えたことが、本当にうれしい。
お互い、山も谷も超え、出会えたんだね。
眠れない夜は、長かったね。
小鳥にも、虫にも、花にも勇気をもらってきたんだね。
出会いをありがとうございます。
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音・リズム・周波数

音は単音でも、その音が醸し出す音色が素敵です。
違う音の高さや、長さが組み合わさってメロディやリズム
が生まれ、さらにそれぞれの音が重なってハーモニーが生まれます。

しかし、音は無音があればこそ、音と認識できます。

無音が音を支えているのです。
(改めて知ると、単純だが、ハッ!とする)

その無音を譜面上では、休符と名付けます。
音符も休符も、書く譜面が無ければ、高さや長さは
わかりません。

私たちは、活動と睡眠でリズムをつけ、気持ちのテンションを上下させ、
人と交わり、共感、反感の周波数を感じ、生きてます。
実はこの周波数ってのが、キーワードなんです。
人生と認識している時空間に、オリジナルなメロディを生み、
自分の思いで作詞をしている音楽家かもしれません。

リズムトレーニングをしながら、私はたくさんの事に気が付きました。

歌うこと以上に、隠しようのない個性が、リズムに現れるからです。

1例ですが・・・
プライドの高い人は、指摘に敏感で、
自分の癖を見つめるより、出来ない事に苛立ちます。

自己否定を持っている人は、「ただ聞く」、ことができなくなり
焦り、休符を待てません。

何かにつけ器用な人は、全体把握を表層部でしかできず、休符(間)
に感じられる、音の流れを見落としがちです。

正解を求めるより、「癖の発見を楽しむ私を感じる」
さらに理解を頭でなく、体で知る(のり)それが
リズムトレーニングです。

我が家では、皆さん、大笑いをしながらやってます。
床に突っ伏して、笑い転げたり、「尿漏れしそう」と腹を抱えて
笑ったり、それを見ている私も爆笑します。

いきなり性格の癖を指摘されれば、プライドだけが
傷つきますが、自ら癖に気が付くと、笑いと共に、解放が
起こります。

だって、癖も眺める私により、やっと癖だと気が付くからです。

癖そのものを生きてしまうと、なりきった私がいて、そこには
人生の観察者が不在になり、記憶と癖の堆積した行動(カルマ)に
翻弄されてしまうのです。

カルマの浄化には瞑想が(良き指導者につけば、)とてもお勧めです。

私は、瞑想はまだまだ、ど素人ですから、音楽や音叉を通して
皆様にアプローチさせていただきます。

手前味噌ではありますが、音叉は素晴らしい効能が多々。

4月より、受付させていただきますのでよろしくお願いいたします。

今日のメッセージ
自分の宣伝です。
音叉ヒーリングは4月より、受付開始いたします。
何本もの様々な周波数の音叉を使用し、痛みや骨のゆがみ
気持ちのぶれ、チャクラのゆがみ、病巣に働きかけ
本来の力を取り戻していくものです。
詳しくは、4月ホームページに掲載いたしますので
ご覧ください。

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生きる。

順調な人生の中では、「自分とは何か?」「生きるとは何か?」
を、感じることは少ないです。

日々の用事に、動き回り、片付けをすることは、現実的なノウハウが
必要で、機械的処理が必要だからです。
そして、内省は、自分を弱くする生活の邪魔に感じてしまいます。

病床に伏し、死に直面したり、身体の自由を奪われたり、
「なぜ?」と言う疑問が次々にわく現実に直面すれば、
逃れられない悲しみに向き合う中、内省や求道が起こります。

放りだしたい問題や、死んでしまいたい私、それらの可能性も受け入れ、
悲しみを受け入れた時、宿命に翻弄されるのではない、受け入れを選択する
新たな可能性に向かう自分がいるのではないでしょうか?

私たちは、日々、あきらめという小さな死を受け入れ、変容できる
自分自身の内側に目を凝らし、生きているのではないでしょうか?

大いなる存在は、あらゆる、すべての人を抱え、呼吸し、無言の愛を
今も贈ってくれます。

3年前、大震災がおき、我々は、深いところから我が身を
振り返るようになりました。

自我に、固執して分離したエネルギーが、一人一人の「生きるとは?」
という、真摯な本質的な問いかけにより、統合に向かいます。

今日のメッセージ
何故、私ではなく、あなたが犠牲になったのでしょう?
何故、私たちの町でなく、あなたたちの町が
がれきと化したのでしょう?
復興を叫ぶのも大切ですが、私たちひとりひとりが、心の整備を
しなければ、どこに起きても、不思議ではない災害です。
私たちの代わりに、天に召された魂の為にも、
傲慢に「生きている」のではなく、「生かされている」ことに
目覚め、恐れを手放し、笑顔で、今を精いっぱい生きましょう。
そして、次元を超えて、天に届くよう、平和と調和を祈りましょう。


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食べ物と私

私は、学生時代に栄養学を学んだ。

当時の勉強は、献立を立てる基礎になる、
カロリー計算が中心だった気がする。

不真面目で、音楽に熱中していた私は、あまりまともに
授業を受けていなかった。

食品分析して、含まれる栄養素のバランスを考慮し、電卓でカロリー
を計算する。

今思えば、人間の生理状況を無視し、万人に共通させる数字上の
栄養は滑稽に感じるが、義父が、重度の糖尿病と診断された際、
インシュリン注射は避けたいと思い、熱心にカロリー計算をし
何冊にも及ぶ献立表を作った私。

あれから30年近く経つ。

食品の質など考えず、自然医学の生命観からは
かけ離れたカロリー計算だったが、父の500以上あった
血糖値は劇的に下がり、糖尿患者の優等生となって、76歳
まで生き、肉体を脱いだ。

しかし、途中、頸椎腫瘍の大手術をした。

食事療法は、カロリー計算のみで、無知だった自分。

「ごめんね、お義父さん。信じてくれてありがとう、お義父さん。」
亡くなる前の日、朝ご飯は、パンと、バナナ半分とヨーグルト。

そして、まるで笑ってるかのような顔で、息をひきとった。


乳製品、特に牛乳は、高たんぱくでカルシウム含有量も豊富で
骨にも、胃にも優しい優良飲料?

幼い頃から、私は牛乳は苦手だった。

母方祖父の家は牛を飼っていた。
そんな祖父を、私は「モウじいちゃん」と呼んでいた。

農業と酪農を営み、そして長年、市会議員だったモウじいちゃん。
モウじいちゃんちは、外に「お便所」があった。

牛舎を通りながら行かねば着けない「お便所」。

牛の、ぺろぺろ舌と、ぎょろぎょろ(つぶらとも表現可能)目の洗礼は
幼い私には異様だった。
そりゃあ狭い牛舎の中、つながれて自由もない牛さんにしてみれば
「おい、そこのチビ、ここからだしてくれ~ぺろぺろ」かな?

牛の搾りたてミルクはあたたかく甘みがあり、みな「美味い」と
ごくごく飲んでいた。
全く飲みたくないチビの私は、自分が変かな?と思うこともあった。

ミルクは本当は牛の赤ちゃんが飲むもので、なんで赤ちゃんでもない人が
飲むのかなあ?とも思っていた。
にもかかわらず、カロリー神話を受け入れた。

今や、公に発表され、アレルギー発症の原因のひとつでもある乳製品。

少し落ち着いて、皆、何を食するのかを考える時だと思う。

食べ物は、燃料ではなく、まさにいのちで、それををいただく行為が
食事。

自然の生命観に立てば、牛さんも、ヤギさんも、豚さんも仲間だということが
わかる。

私は完全ではないが、食事は玄米と菜食中心で、外食やおつきあいでの
肉食魚食は感謝していただく。

もちろん、嗜好品であるビールもコーヒーも。

私は救急搬送されて以来、たくさんの薬を捨てた。
怖かったし、大丈夫かなとも疑う気が起こった・・
しかし、それ以上に「これではない」と明快な心の声が聞こえた。
細胞の奥からの声だった気がする。

自然な食事、音叉(周波数の調整)、レメディが身近になり、病気とは
無縁になったようだ。

一人一人が心の目をさまして、薬医療から自然医療へ移行できる時。
そして、自然衣食に目を向ける時。

やがて現実にフリーエネルギーが活用され、母なる地球との
真の共生ができるのではないだろうか?

今日のメッセージ

化学兵器や原発の脅威以上に、情報の食べ過ぎと言う脅威が
あるのではないでしょうか?
テレビや、新聞の記事にどこまで、真実があるのかは、わかりません。
みな、様々な体験から学びながらいます。
群衆心理に働きかけるものが、恐怖や不安をあおっているのなら
今1度、目を閉じ深呼吸をし、今に戻りましょう。
あなたの中には、叡智があるのですから。











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考える事と感じる事。

宇宙のすべてのものは、振動し、固有の周波数(エネルギー)を
放っています。

わたしも、あなたも、うちのワンコも、腰かけている椅子もです。

それから、見えない意識や、思いも空間を振動しています。

だから、波長が違うと、干渉しにくいにも関わらず、
マインド(思考)は、頑張って「少しでもより良く」を目指そうと
相手の周波数に干渉します。(考えます。)

私たちの目には、姿、形しか見えず、周波数なんて言われても
見えないから、考えても解りません。

感じているのか、考えているのかわからない、とよく質問されます。
感じることは
「今、この瞬間、未来も過去もなく体の内側に確かに在る、私」にしか起こらず、
考えている時は、時間の中を行き来し、
体の感覚に無頓着で、呼吸すら、意識できないことも多いです。

もっと、わかりやすく表現するなら
「風の心地よさを感じる。」
「虫にさされ、チクッと感じる。」

「旅の行動計画を考える。」
「なんで、あの時あんな事をしたんだろうと考える。」

この世は、仕事(家事、雑務ふくめ)が必要だから、考えることも
感じることも必要です。

先々の不安から考えることは、マインドの特性だから、
皆、すぐできます。
だからこそ、感じる私を感じて暮らしたいいですね。

直感を頼りに・・・と言われても。
確かに、瞬間に行き過ぎる感覚を、考えに没頭する頭は、
見逃しがちです。

リラックスとか、ボーッとする大切さは、確かです。
でも、「リラックス」しようとして、「リラックス」できるものじゃないし、
「ボーッとして」と言われ「ボーッとできる」ものでもないんです。

なのに、「頑張って」と言われると、「頑張れる」気になるのも
ふしぎですね。

これは、私の個人的感想ですが、
魂は、その時、その場所、その相手の中に、起こるシナリオを
知っていて、必要なものも、必要な分も知っているんじゃないかなあ?

次の階段にのぼる時、いばらの様に見える階段の中には、
新たな周波数に馴染める真綿の服が隠されているかもしれません。

今日のメッセージ
科学者でもないのに、周波数とか、量子場とか言い、
生物学者でもないのに、遺伝子とかDNAとか言う時代の到来です。

科学も、生物学も、仮説から実験検証し、確認されたものだけを
正しいもの、確かなものとしてきました。(一部の学者を除き)
今や直感から打ち出す、スピリチュアルを超えた、原初意識(法則、空)を
誰もが、体感しやすい時代になりました。
これらが、手を取り、新たな時代がすぐそこまで、
やってきているのではないでしょうか?
ただ、時間はかかると思いますが。

各個々人が、放つ意識が、それぞれの前に展開する現実を誘い、
「全体の中の私」から放つ、平和や調和の祈りが
母なる地球と共に、感謝で生きる今日を現わしているのではないでしょうか?
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前回の続き(感情を味わい抜く)

あの、補足ですが、感情を味わい抜きながら、
気をつけたいことがあります。

それは、起きた事の意味を考えたり、深読みしない事。

正しさとか、本来の形なんていうものは、ありません。

理想は頭の中。起きた事はリアルな事。

そして終わった事。

そこから、繋げながら、あの時とか、これからは・とか
思考が物語を創りだすと、厄介な問題に変身しますから、気をつけましょう。

ただ、感情はしっかり感じておかないと、どこかにこびりついたまま
多重に堆積しちゃうから。

それが未完了の衝動、感情でカルマというのではないでしょうか?

理性や意志力で良い方に向けても、ポジティブ思考に逃れても、
その場しのぎにすぎません。

結局なんだかんだ考える自我は、支離滅裂なものなんです。

体は正直に反応するので、ストレスを抱え、
心や体の病を現わし、悲鳴をあげるかもしれません。
なるべく、こびりつきは落としましょう。

そして、どんなことでも、過ぎ行くのです。
気持ちや記憶に、あえて苦しさを書き込まないよう、
感じて「さようなら」をした方が
いいんじゃないでしょうかね。

「この恨み末代までも・・」なんて、重い思いを抱える話もありますが。
んんん~源をたどれば・・・みな・・・?

お読みいただく皆様、さて、「?」の答えはなんでしょうか?

「?」を体験した自分は、やっぱり、憎いあいつや、嫌いなあいつを
含めた私に関するすべてのものに対して(最初はちょいと悔しいが、)
「全てが幸せで、平和に包まれますように。」
と祈ります。
結局、それしかやることなくなっちゃうんだよね。

様々な周波数が、空間を流れています。

わたしだって、何年か前まで、そう聞いても、全然ピンときませんでした。

その周波数には、悪魔みたいなものや、天使みたいなものもあり、神もあり
、我々の中にある、あらゆる全ての周波数が存在しているようです。

しかし、みな私の中にある周波数。

どれを掴むかが、前回の階段のお話になるのです。

それが、パイプのような肉体を通過する瞬間、まるで私が考えていると
思ってしまいます。

さらに、肉体自我は、これが私と信じる、様々な癖があるため、
おなじみの周波数を掴み、さらにこんな私と醸成していきます。
うそ~ってなりそうですが、ほんとうだよ。

だから、意識や認識力の広がりや、気づきの深まり抜きには
階段はのぼれないのでしょうね。

体験をしながら、ハートの窓を開け、学習し、叡智にふれて
1歩ずつ行くのだと、思います。

深呼吸や「笑う」は、階段のぼりの持参品。お・忘・れ・な・く。
忘れたら、胸のOKワッペンのぞいてみましょう。

<u>今日のメッセージ
あなたにとっての、「怒り、こんちくしょう」体験があれば
お聞かせください。
「いい人、ぶりぶり」体験もあればお聞かせください。
案外、いっぱいあって、あたしだけじゃないんだあ~ってなります。




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怒り、憎しみ、悲しみの感情を抱きしめる。

私は、いたって凡人で、どこにでもいる普通の人です。
出来の良い人間でもないし、まして聖人なんてほど遠い。

時には、すぐ笑い、すぐ泣き、すぐムッとなります。

病気で救急入院後、ちょっとだけ‘空’への誘いの様な体験を
したお蔭か、人生に何かあって、喜劇や悲劇のヒロインに
なりそうになっても、どこか冷めた目で観察できる位置に戻る
自分がいます。
「イチ、抜けた~」

しかし、普段は霊的成長のドタバタの旅をしてる感じです。

この世は、様々な人との出会いがあり、体験があります。
避けられない出来事も起こります。

親子、親戚、兄弟と血縁があるゆえに、摩擦が大きくなることもあります。

時には、まさかの相手からの言動にノックダウンしそうに
なったりします。

あきらかな交戦姿勢をむき出しにされたり、暴言に深く
傷つくこともあるでしょう。

いつの間にか戦闘モードに入りそうになったりします。

人の気づきほど、個体差が大きいものはありません。

その深さや、質は見えず、霊的成長の段階は無限にも感じます。

物事への検証の仕方も、認識も違うから、人とぶつかったり、
関わるほどに期待と失望のシーソーに乗ったり。

ズレを感じながらも、何とかしようと、余計ズレたり.

「苦しいのは環境や、人のせいだ」と信じて疑わない段階。

「起きることは偶然で、人生死んだらおしまい」とお金や地位に
しがみつく段階。

少しスピリチュアルを知り、「あらゆる世界は、自分の内側の反映」
と、じぶんを責めて悩む段階。

いかなる時も、意志の力でポジティブ思考をする段階。

「善悪を超え、ワンネスを目指す」が、思考倒れして、現実の過酷さに
応用しきれない段階。

自我の崩壊と共に、内側からやってくる「目覚め」の段階。

段階は、上も下もなく、無限大です。

そして、段階に留まっている訳でなく、
絶えず、行ったり来たりです。

私は段階を階段に例えるなら、のぼる1歩にも、
普遍性を感じます。

ある程度のぼると、そこからは、人生の意味づけをせず、自己解釈を超えた、
人知も及ばぬ‘何か大きな全体を網羅した計らい’がある事に
気づきながら足を進める階段を共有するからです。

個性により、のぼり方も足をかける場所も違うので、共有を
理解はできませんが、普遍のものです。

階段の1歩は、エベレスト登山ごとく、優しくはありません。
そして頭では登れず、体験するしかないのです。

それは、やがて自分に行きつく階段で、すべてと溶け合います。

気づき、意識、認識が大きく違うのは、階段の立ち位置が
違うということ。そんな相手と、感情にまみれ
話し合っても、言葉は共通言語にならず、
ちんぷんかんぷんの宇宙語になってしまいます。

しかし、あれやこれやの悩みは無駄ではなく、外に向けた視線を
内に向けることにより、必ず、気づきのギフトがあると思います。
すると、その時、な、なんと、悩みの無駄が腹の底からわかります。


偉そうなことを言ってる私ですが、今日、「怒り」「憎しみ」「悲しみ」
と言う感情を、避けることなく、しっかり感じ、抱きとめる体験をしました。

「許す」ことを学んだ、と言えばカッコ良いのでしょうが、
自分の感情の堆積物に「怒り」「憎しみ」があれば、必ず、
何かの拍子にそれらが吹き出します。

意志の力で、コントロールせず、ただ味わい抜きました。

感じて、涙がでて、鼻水も出て、感じて、また泣き、感じ抜く。

いい人ぶらず、わかったふりで自己解決せず感じ抜く。

「怒り」「憎しみ」を人や、ものにぶつければ、ただの迷惑おばさんに
なっちゃいますので、ちょっとしんどいけど、避けることなく、
感情を抱きしめる。

そんなものは見たくないって?
憎むより愛することが大切って?

だって感じるってことは、自分の感情の中にあるって証拠だから
避けても、いつか、また、あらわれるのです。

だったら、感じて感じて。。。。あれっ?消えた?

するとまた出てきて、感じて感じて。。。あれっ?消えた?

だんだん、ゲームみたいになり、アホらしくなり
「イチ抜けた~」

今日のメッセージ
何ともならない事を、何とかしようとするから
問題になるんだよ。
やるだけやったならいいんだよ。
見極め、あきらめの勇気をギフトされたんだよ。
上手くかかわれない人に、上手くかかわろうとするから
悩みになるんだよ。
上手くかかわれない事でOKワッペン貼ればいいんだよ。
離れていくことが自然の流れだという関係はたくさんあるんだよ。
無力を感じ、ただ天を仰げば、空が広がってるだけだよ。
「私ごときが、ガタガタしても、大いなる計らいの前では、
全くお手上げなんだから、全託しよう。」









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プロフィール

Mami

Author:Mami
愛知県在住。
声とリズムと音叉を使い、
ユニークな音楽教室を主催。
趣味:さんぽ、山を見ながらビール?

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