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明日はこんな風に生きようかな

何も望まない。

どこも変えない。

誰もが幸せに生きる名人と
心底わかってる天才の私。

人生でいつが一番幸せかって?
「今です」。

言葉は必要最低限。

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父の話

幼い頃から私は父が嫌でした。

父は身勝手で傲慢でハチャメチャなくせに
口達者で、相手を理不尽な厳しさで押さえ込み
そんな中で大きくなりました。

この人さえいなければ・・・と、親ともあろう人に
何ともならない怒りを感じ、同じ屋根の下にいては
ダメになる・・・と、確信めいたものがあったのは
確かです。

そんな、父が倒れ、施設に入りました。

私を見ると、「こんな嬉しいことはない。」を
連発する父。

「お父さん、タバコをやめていい感じだよ。
今までの人生はニコチン中毒で
変だったかもしれないね?」…と私。

「邪念が消えたのかなあ?」・・と父。

「そんなの最初からないんだよ。
タバコが悪戯したんだよ。
でもさ長年、お世話になった嗜好品に
感謝しようね。」・・私。

「今まで本当に大変だったんだね?」
「戦って、頑張って生きたんだね?」・・私。

優しく笑ってる父の姿に、勇気をもって
抗がん剤を止めた母が寄り添っている。

私は、あなたたちを自ら選び、生を受け
様々なトラブルや困難の中でたくさんを
学んできました。

かつての明日も来年も、全く、人生は思い通りには
なりませんでしたが、今は愛しい過去になりました。

不条理な親のもとに生まれた子供は、葛藤や不安が
つきものとあきらめた時、鮮明になった人生のシーン。

あるがままをみたとき、父の優しさを初めて
こんなにわかるのかもしれません。

「生んでくれてありがとうね。」・・・
この両親なくして、ここに存在できない私です。


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霊性の進化・・因果律

今日は近藤千雄氏の本より抜粋です。

因果律とは文字通り、原因と結果の
法則である。

すなわち原因にはそれ相当の結果が生じ、
その結果が新たな原因となって更なる結果を
生んでいくという説である。

これを道徳的に表現したのが「善因善果・悪因悪果」
で、これに類するものが、古来いろんな表現でされる
「因果応報」「親の因果が子に報い」
「因果が縁の糸車」等々。

しかし、こうした表現には、どこか、単純な
懲罰的観念が含まれている感じがして
ならない。

つまり、懲罰を与える者がどこかにいて、
それを仮に「神」と呼ぶとすると、
その神は人間的な情緒を多分に持って
臨んでいる感じがする。

言い換えれば、勧善懲悪を売りにした
ドラマの主人公のような印象を与える。

もちろん、善を勧め、悪を懲らしめてくれないと
困る。が、問題は何が善で何が悪かと言う事。

霊性の進化を基準に考えると、すなわち
進化を促すものが善で、妨げるものが悪
となる。


一般通念から言って、善は必ずしも
楽しいもの、楽なもの、幸せなものとは
限らないという事だ。

むしろ、辛く、苦しく、そして我慢を強いられる
者であることの方が多いだろう。

「艱難、汝を玉にする」というが、
古今東西、そして今後いかに
科学技術が発達しても、これは変わらない
事実であろう。

「ご利益」と説かない理由はそこにあり、
説けないのである。

組織を持ってはならないとの忠告は
霊性の進化の程度は1人1人違うのだ。

それ故、おなじ教理、同じ信条を唱え、同じ
枠の中で行動するというのは、理屈から言っても
不可能な事で、無理強いしようとすれば軋轢が
生ずるのだ。

その対立から生じる悩みは、霊性を歪め
かねない。

因果律とは、1平面の図式的なものでなく
無数の次元が複雑に絡み合っている。

因果律は自動的に作動するものであるが、
異なる次元の要素の絡み合いゆえに
必ずしも地上生活期間中に結果が
生じるとは限らない。

「こうするとこうなる」という因果関係は、
人間推理をはるかに超えている。

次の、シルバーバーチの言葉が参考になるだろう。

シルバーバーチの霊言より

あなたのこれまでの成長度合いによって、
これからの先の成長度合いが決まります。
もっともその成長を遅らせることもできます。

が、いずれにせよ、あなたがこの先、
選択する行為は、様々な次元の摂理の
絡み合いによって自動的に決まってきます。

1つ1つが自動的に働くからです。

自分の自由意思で選択しているようで
実はそれまでに到達した進化の段階における
意識の反応の仕方によって決定づけられているのです。

霊性を自覚するようになった魂は、目先の
損得、安楽だけで選択せず、いっそうの進化
を促す道を選ぶものです。

マミのメッセージ
なかなか厳格で重く感じられますが、
決してそれだけではないと思います。

些細な事に捕らわれず、無邪気に生き、
素直な視点を持つことがどんなに大切かと思います。

過剰な精神性の傾倒もほどほどに
今を、逞しく、楽しみながら生きる中でしか
霊性の進化はありません。

なぜなら、机上や思考の世界で進化もなく
まさに、実践の場、生きる体験を通してしか
地球服肉体、5感を持っての「気づき」は
ないからです。

困難な事を問題視するか、新たなチャレンジと
勇気を奮い立たせるかは、1人1人違います。

しかし、自ら志願したらしくやってきたこの世界。

それなりの難題、お題は、人生の旨みになって
いるのではないでしょうか?
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シルバーバーチの霊訓

シルバーバーチと言うのは今から
3千年前に地上生活を送ったことが
あるという古代霊の仮の名です。

霊視による肖像画は北米インディアンの
姿をしていますが、実はシルバーバーチ
その人ではありません。

直接地上の霊媒に働きかけるには
あまりにも次元が高すぎて、その中継役として
インディアンを使ったもので、言わば
「霊界の霊媒」と言えます。

時代や民族、宗教の壁を越え、
霊訓の内容の普遍性、叡智の
素晴らしさゆえ、世界十数か国語に
翻訳されています。

イギリス人のジャーナリスト、
モーリスバーバネルの口を通して
60年間にわたる膨大な量の
霊言が語られたのです。

最初の一冊は1938年。

バーバネルが79歳で他界するまで
ほぼ、毎週1回の割合で語り
続けたのです。

バーバネルには仲良しの婦人がいましたが
子供はいませんでした。

名誉欲や打算のない人柄で、シルバーバーチ霊の
「道具」に徹した生涯だったといわれています。

審神者もいて、あらゆる方面の学識者も
同席する交霊会でした。

時に、素朴で何でもなさそうな霊言を
平易にわかりやすく繰り返す、そして
時に、広大無辺な宇宙のしくみを
説き聞かしたのです。

自分は、地上時代イエスと名乗った
地球浄化を目的とした霊のもとにあり、
それは宇宙にある霊団の1つにすぎない
とも語っています。

この交霊会は天の計画性もあり
人間生活のあらゆる側面の浄化活動を
進めるとも語っています。

その側面は、人類同士の争い
環境破壊、宗教の糾弾、混迷する政治
、間違った方向の医学、科学などなど。

そして、これら霊訓全てを日本語に
訳されたのが、近藤千雄(かずお)氏です。

以下 霊訓より
人間は肉体を携えた霊であって、
霊をたずさえた肉体ではありません。


肉体は霊が宿っているからこそ
存在できるのです。

それは、神の火花であり、すべての存在に
内在しており、すべての生命を通して
顕現しているのです。

あなたは今そうして地上にいる時から
立派に霊的存在です。

死んでから霊的存在になるのではありません。

霊的身体は死んでから与えられるのでは
ありません。

死は肉体の牢獄からあなたを
解放するだけです。


それは、かごの中の鳥が放たれるのと同じです。

死んで間もない段階では、地上にいた時と少しも
変わりません。肉体を脱いだだけです。

個性は同じです。性格も変わっていません。

習慣も特徴も性癖もそっくりそのままです。

利己的な人は相変わらず利己的です。

欲深い人は相変わらず、欲深です。

無知な人は相変わらず無知なままです。

落ち込んでいた人は相変わらず、
落ち込んだままです。

しかし、そのうち霊的覚醒の過程が
始まります。

人間は物的身体と言う牢の中で
生活しています。

その牢には小さな隙間が5つあるだけです。

それが5感です。

みなさんは、身体の周りで無数の
現象が起きていても見え、聞こえ、触れ、
味わい、嗅ぐ事のできる以外の
存在は確認できません。

ですが、実際その身体の周りで無数の
生命活動が営まれているのです。


見えないから存在しないと思ってはいけません。

ただ人間の5感で感知できないということ
にすぎません。

厳密に言えば霊が身体に宿るという
言い方は適切ではありません。

霊と身体は波動の異なるものだからです。

本当のあなたは体内にいるのでは
ありません。

あなたは、地上で生活するためにこしらえた
物的期間を通して自我を表現している
終わりも始まりもない「意識」です。


※マミの勝手な判断で、大切と思う個所に
アンダーラインを入れ太文字化しました。

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機能不全の両親のもとに育って・・

たくさんの人が、自分とは○○○○子です。
○○○○雄です。
そして、私の人生はこれこれで、
肩書、家族構成は何々です。

このようなストーリーある体験を通し
自分を語ります。

自己の本質である、永遠のエネルギー(命)
が、不生不滅であることに気づけず、肉体の
死を迎えてしまう人も多いです。

私は、とても不条理で幼い精神の両親の
もとで育ちました。

母は私の事を父が嫌っていると
事あるごとに言いました。

相談をするくせに、自分の都合が
悪くなると、私のせいだと言われました。

父は全く家族を顧みず、放蕩三昧で
家はくちゃくちゃな時も長くありました。

時に蹴られ、罵声を浴びせられ、泣くことも
ままならず、波乱に満ちた思春期を
過ごしました。

機能不全の家庭に育つと
「自分を愛する」事が解らず
生きる事にたえず葛藤が伴います。

そして変化を恐れ、自分も他人も
コントロールしたくなり、エゴの暴走が
始まります。

私はこの体験をしたからこそ
たくさんの気づきとたくさんの出会い
そして何より変わる事が出来るのは
自分のみと痛感したのです。

確かに幼い頃より霊的な
感覚はありましたが、生きる不条理さを
体験することが、私には必要であったし
そのリアルな体験がなければ無知であった
事も確かです。

決して楽しくはない過酷な体験も
はらわたから理解できるためには、
相手が変わらずいた事でした。

はぎとった人生の状態しか
肉体の自我は感じられませんが、
本質である命は宇宙全体の総和の
中で、一つのピースとなって生き生きと
輝いていることが、今の私には
わかります。

その内なる命に意識を向け
日々丁寧に生活できたらと
しみじみ感じている今日この頃です。
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プロフィール

Mami

Author:Mami
愛知県在住。
声とリズムと音叉を使い、
ユニークな音楽教室を主催。
趣味:さんぽ、山を見ながらビール?

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