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ホメオパシーを学び感じ入る事

3年前から独学でホメオパシー(同種療法)
なるものを学び、その深さに触れるにつれ
独学ではとても学べるものではないと実感
しました。

そして、昨年よりファミリーホメオパス
1年コースに入学し、学ぶにつれ
意識はどんどん変化の一途を
たどる感じです。

増川いづみ博士のもと、音叉を学んで
3年目。

これまた「びっくりポン」の連続でした。

それぞれの療法にはお互いがカバー
し合える十分な素晴らしさがある事も
体感しています。

私は音楽を教える仕事に関わり
早30年近く経ちますが、音=周波数=
エネルギーという数式が、今では
知的理解に留まらず、体にも心にも魂にも
作用するという事を幾度も体験しました。

ちょっと大袈裟に表現すると近未来医療の
光を感じる体験です。

ネイティブインディアンにとって
メディスンと言う言葉は、単なる
「薬や医療」と言う意味でなく
「自然と調和した人間本来の生き方」
を示すそうです。

魂、心、体この三位一体の乱れが
病や怪我、悩みであり、大いなる命からの
警告であるといわれています。

まさに「苦しみは生き方の見直しというお知らせ」。

歪みをもたらす根源の問題に
触れるまで、内省や許しは不可欠です。

そして、それは勿論誰かの「一押し」や
「気づきへの誘導」を介するのかもしれません。

それが、ホメオパシーとの出会い、音叉との出会い
音楽を通しての出会い、あらゆる出会いの
何であったとしても
「私の中にいる最高のヒーラー」の出番なくして
調和はありえません。

こうやって気づきを文字にでき
誰かの目に留まり、何か感じていただければ
本当にうれしい事です。

あなたの中には、素晴らしいヒーラーが
今もいるのです。



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断薬

お薬やお医者さんとのご縁が、薄まり、
遠くなり、まる2年がたちました。

平成13年2月、旅先の長野県で
呼吸困難により救急入院。

気管、声帯付近は、膿んで腫れ上がり、
声は全く発することができませんでした。

呼吸は苦しく、今までどうやって
息をしていたのか考えてしまうくらい
窓を開けたり、服のジッパーを下げたりして
「死にたくないなあ」と思いました。

救急車の中で医師に何度も
励まされながらいました。

酸素マスクも、もう吸えない状態で
「とって欲しい」と潤む目で医師に
伝えました。

大量のステロイド(その際医師から
とてつもなく強い説明あり)と抗生剤の点滴。

入院し、霊視霊聴などできない私が、
初めて、体の声を聴いたのです。
「薬ではない」と・・・・・

夜も全く眠れず、「助けてほしい」と
心が懇願しても、楽になりませんでした。

でも、「私に関わる全ての人、もの、あらゆる
動植物が今を平和にすごせますように」と
祈ると、息が楽になりました。

次の夜も同じでした。

幼い頃より、病弱でしたが、自然医療への
関心もなく、それっぽいことは、やってはみるものの
症状の辛さに、対処療法を選択し続けてました。

いつも痛いお腹、薬なしでは便通もなく、
痒みや、止まらぬ咳に悩まされ、すぐ、感染症をおこし
骨も折れやすく、「なんでこんな体なんだろう?・・」

元気な人、動いても倦怠感のない人が
不思議でした。

しかし、この入院を境に、勇気をもって
断薬に踏み切りました。

まさに病気は気づきを促し、生き方の
方向転換をしながらはじめの一歩を踏み出す
そんな体感をしたからです。

確かに、今の医師は、受診の際、人の体に
触れることなく、顔をしっかり見ることなく
パソコンにむかってます。

でも、極端に否定する気持ちはありません。

どこかに投薬不要の気持ちがありながらも
受診と言う行為で、救われた自分があるからです。

そして、自我と真我を知ってか知らずかは問わず、
すべての人が生きる事に必死だからです。

気づいたものが変化し、歩き出せばいいのです。

私は、病弱のお陰でいろいろなことに気が付けました。

仲の悪い両親のお陰で、家族の在り方に気が付け
自分の夫との関係、認知症のばあちゃんとの関係を
感謝にしてゆくことができました。

何より両親なくして、この世界で存在体験
できないことに気が付き、両親に感謝ができました。

まる2年たち、断薬をしたことで
あらためて「お薬たち」にも感謝ができました。

未熟な私は、まだまだ気が付きながら、一歩ずつ
歩いていくのだと思います。


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今年もありがとうございました。

今年もあと2日。

今年は私にとっては大きな
変化の年でした。

そして、今、思うとすごく素敵な
1年でした。

また、来年もお暇があれば
このブログにやってきてください。

数日前の風の強い日、こんな偶然の
洗濯物のフォークダンスが・・・・・
思わずカメラにカシャ!
12-01.jpg

繋がっていくんですね。
きっと、時代は大きな転換期を迎え
1人1人の意識がはっきり問われるのかも
しれませんね。

大丈夫!大丈夫!
12-03.jpg

今ここに意識を保つことを
忘れないよう・・・・今の深い呼吸に
真我あり!

1年本当にありがとうございました。
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自己を知る

「私はイノチであり、肉体を超えた
存在である。」・・これは死に直面した
人にとってだけの心理的な救いの教え
ではありません。

生き続ける私たちにとっても、とても大切な
真理だからです。

生きてる実感を強烈に味わうのは
死の淵においてかもしれませんが、
この肉体に息を吹き込む「何か」を
肉体を通して、今、丁寧に感じてみたいと
思います。

感情的に今を「辛い」「楽しい」「孤独」
「ハッピー」「たいくつ」と分類仕分けする
脳は体内に化学反応の結果として、
今を忘れる感情思考中毒を導きます。

すると、確実に気持ちは未来や過去に
行き来しがちです。

気持ちは、必ず変化するものです。

全ての人が、避けて通れない喪失の
体験。

もしそれが今の状態なら、
なにを、知っていても、本当につらく悲しい
苦しい時を避けられません。

人生の配役には、慰め役、癒し役の
人たちがいるかもしれませんが、
その悲しみを味わい抜くのは代役が
なく、日常を取り戻す経過体験も誰も
代わってくれません。

惜しみなく、泣くだけ泣いけばいい。

無理にいい人ぶったり解ったふりを
しなくてもいい。

世の中が不公平だと不平を言ってもいい。

でも、喪失体験は、あなただけに起こるのでは
ないことを知っていてください。

全てがそろっているように見えるあの人も
何もかもが上手くいってる気がするあの人も
全ての人が体験するのです。

人生は、悲喜こもごもですが、ただただ
罰ゲームのような苦しさではないと思います。

「気づき」というギフトを幾度も受け取りながら
「自己を知る」旅をしているのです。

それが深まるほど「いのち」を強烈に
体感し、私はいのちそのものであり、
決して分離しておらず、孤独ではない事が
内側からわかるのです。

今、何もわからなくても、目的が
なくても「生きてる」だけで本当に
すごいことだなあと思っている私です。
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在る(being)

全ての物に、絶対の形なんてないんだと

思いませんか?
私は思います。

いつも、今と言う瞬間の姿を目に
しているのであって、その背後には
さらなる可能性と完成形が控えています。

私たちは、生きる途上で、人を傷つけたり
裏切ったり、嘘をついたりします。
その逆もしかりです。

でも、その体験のお陰で、感情を伴って
理解できたし、知ることができました。

辛い、憎い、悲しい・・マイナスと言われる
感情だって、気持ちいい、可愛い、楽しいを
強烈に味わうためには、必要だし、高みに出れば、
谷底の深みも味わいます。

善悪や良否の裁判官は、道徳的には
必要かもしれませんが、身を持って
体験するうえでは、影をひそめてます。

時に、残酷なことを平気でする人を見ると
激しい嫌悪感が湧きます。
でも、ただただ、嫌うのでなく、難しいかもしれませんが、
「相手にはその残酷な行為をする
と言う体験でしか、感じられないものがあり必要なのだ」
と、考えると・・・・・

ただ相手の存在は認める。

他の人を、避難したくなる時、相手の中に
ひょっとすると、自分の中にもある部分
(嫌で受け入れたくない部分)
を見ているのかもしれません。
全くそれがないなら、即座に反応はできないからです。

私たちは、今日まで生きてきたすべての体験、
してきたことの全部のお陰で、今の自分の知恵があり
強さがあるのです。

だから、いつも‘最高に叡智溢れる私’を、‘今’
生きているのです。

あの時より、昨日より、いつだって今が最高の
私を生きてます。

こうあるべき姿など、幻で、いつもいつも
今が最高の完成形なのです。

今日のメッセージ
心、魂、などは所在不明で人体解剖しても
出てきません。
考えにグルグルに捻じれ悩む時、「心を落ち着かせて」
と言われても、どうしたら脱出できるかは、
理解できません。
だって、思考と言う脳の暴走は、感情を伴い、
体の震えや緊張まで伴い自動的に不安の谷
まで連れて行ってくれるからです。
しかし、「考えるのをやめた」となれば、暴走は止まります。
が、そんな簡単でないし、止めれないから苦しんです。
と、イタチゴッコです。
難しくしているのは、記憶や強いこだわりや思い込み
からくる、思考の「不幸のかき集め」なのに・・
そして、今ここに、何も侵されていない我がうちの
「在る」という本質は、いたって穏やかです。
どこかに、求めなくても、いつもここにある
「状態」は「ただ在る」・
なんとかするdoinngが絶対だと、脳が暴走したら
在るbeingに戻しましょう。
呼吸を感じたり、体の部分に触れたりして「今ここ私」
を感じましょう。
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プロフィール

Mami

Author:Mami
愛知県在住。
声とリズムと音叉を使い、
ユニークな音楽教室を主催。
趣味:さんぽ、山を見ながらビール?

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