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素晴らしいあいまいさ。

人と出会い、今日までの相手の人生は、
いかなるものだったのか
思いはかっても知る事は叶いませんが、
ただ、目にできぬ気配、雰囲気を感じながら、
一言一言をかみしめ会話する。

言葉にならぬ感謝と、音にならぬ拍手を
おくる時があります。

白黒、善悪、光と影のコントラストがあいまいな
会話ができるのは、きっと、激しい2極を
行ったり来たりした者だからこそできる
加減というあいまいさだと思います。

正しさに疲れ果てたあいまいさの中には
悪さも、いやしさも、醜さも認めた
優しさがにじみ出ます。

私は夕焼け空を見る事が好きです。

自然が時折見せる色彩のグラデーションは
私に勇気と知恵を与えてくれます。

瞬間瞬間に変化するその色は表現不可能
で、刹那的でありながらも、どこまでも包容力
があります。

夕焼けは、美しく、朝陽と違う郷愁があり、
また凝視できるまぶしさゆえに、いつまでも
ながめ、寝ぐらに戻る鳥たちにさえ
命の普遍性を感じやすいです。

西に傾くお日様に「明日も会えるかなあ?」
なあんて不安は起こりませんが、
その刻々と変化するあいまいな色合いが
妙に心を素直にさせてくれます。

その変化は、まさにあるがままで
あいまいで、あっという間に暗くなり
優しさと厳しさを併せ持っています。

いつからが夕方でいつからが夜か
わからないこのあいまいな時を
毎日重ねる私たちが、「はっきり」
「区別」「仕分け」という線引きが
上手くできないのは普通の事なんでしょうね。

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レンタル料0円の計らい

私たちは、この地球を生きる為、
肉体と言う服を着ています。

お借りしているともいえます。

もし、突然死んでも、ここにあるのは
マミさんの死体であって姿かたちは
息をしていた時と変わりません。

何が違うかと言うと、呼吸をしておらず
徐々に冷たくなり、硬直してゆくことでしょうか?

呼吸をおくる主が、不在になったのです。

魂が肉体と言う形態から抜けたという
言い方もできます。

肉体はそのままにしておけば腐って
白骨化しますが、今の世の中では
火葬してもらえます。

お借りしていた、肉体さんは
レンタル料を請求されず、燃やされるのです。

レンタル料0円で何十年も我が身となる
肉体さん。

私がレンタルショップの店主なら
1年間2500円、5年間前払い1万円
なんて言いたくなりますが、お貸しくださる
どなた様か知りませんが、太っ腹ですよね。

そして、超高性能の肉体さん。

細胞は日々入れ替わり、抜けた髪も
生えてくるし、切った爪も伸びます。

さらに、痛点があるからこそ、「いたっ」と
感じるからこそ、壊れるまでになりません。

一体誰がこんな高性能なレンタル服を
考え出したのでしょうか?
しかも無料で・・・

私たちは、その肉体さんに、時には
心からの感謝とお詫びをすることも
大切だと思います。

病気になる前に、怪我する前に
常に肉体さんと仲良しこよしでいきませんか?

日常では、文字でのやりとりが頻繁ですが
文字が読めても、心が通じ合っていないことは
多いです。

この肉体さんとは、文字でのやりとりはなく、
感謝のおもいでやりとりするのです。

そのやりとりこそが、魂の直通会話なのでは
ないでしょうか?

久々のブログをお読みいただき
ありがとうございます。

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ありのままに~♫・・とは、言いますが・・

今、ありのままの状態でOKなら
「悩み」なんて湧きあがりません。

あの?ありのままとあるがままは
どう違うのでしょうか?

この屁理屈マミさんは、ふと、どうでも
いいことに立ち止ってしまいます。

まあ~自我は変なことにこだわって、
そんな時は、我が家のアイシャが
「そんなのどうでもいい」って目をして
椅子に寝転んで私を見てます。

はい、話を戻し、確かにオールOKなら
問題なんてないんです。

でも、「これさえなければ・・・」
   「あれさえあれば・・・」
   「いつか○○になったら・・」
なあんて、条件をくわえないと、今のままじゃあ
やっぱり幸せを感じない私たち。

そうなんです。

この現実、あるがままの今に抵抗する
気持ちこそが、不幸の種なんです。

宇宙は瞬間瞬間の完璧さを目の前に
現わしていますが、心は「どう考えても
これじゃあダメ」と抵抗を示します。

本当にこれじゃあダメなんて何で
確信持てるのでしょうか?

脳の5パーセント足らずしか使う事のできない
私に、何が解っているというのでしょうか?

宇宙の采配は、アホな私の
計画なんかよりもずっとスゴイはずだ!
いや、スゴイに決まってる。
もし、大変な采配だったらどうしよう?
まかせたいけど、これ以上苦労したくないし…

ああ・・ううん~往生際の悪い私。

まだまだ抵抗感の残る私。

そうです。こうやってジタバタして
結局、抵抗する自我がくたびれ果てるまで
ドタバタして、やっと「ああ、おまかせだ~」
って、あきらめるんです。

このあきらめには無念さもなく、十分な納得も
ありませんが、不思議と「これでいいのだ」
と、静寂なる幸せを感じるものです。

常識的に判断しましょう。

強盗が入った。
・・・・あるがまま
クマがあらわれた。
・・・・あるがまま
もちろん、逃げるか身を守るんですよ!

あるがままをよしとするか、
あらたなチャレンジをするか、
改善をするか・・それを見極める感性、
それこそが知恵の泉からコンコンと
湧きあがる叡智です。

苦しみを知るからこそ霊的成長を
するのは真実だと思います。

体験の中にこそ叡智が生まれ、
未体験の想像の中には応用力のない「知識」
しかありません。

だから、「おまかせ」の門にたどり着くには
そこそこ「苦」という難関も通り抜ける必要が
あるのかもしれません。

このままじゃあ絶対だめだ。と、固く
疑わず信じ込んだからこそ、あれこれ
必死にやるんです。

外的状況の設定変更にも果敢に
取り組むのです。

環境や人が変わってくれればと必死に
何とかしようと生きてしまうのです。

しかし、人生何とかなる。
「おめでとうございます」やり抜いたからこそ
疲れ果て、「おまかせ」の門の前に
立ったのです。

めでたし、めでたし。
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ああ~やんなっちゃうな~♫

私の目の前の風景は、私の心の眼を
通してみています。

風に揺らぐ水面にうつる風景が、
歪んでいるように、心が波立てば、
ありのままは見えず、多分歪んだ風景を
疑わずに現実だと思っているのでしょうね。

ああ~やんなっちゃうなあ~♫

だって、心の眼の奥には慣れ親しんだ
想念、観念、思い込みがあるんですもの。

私たちは考えるものに、意識の
エネルギーを注いでいます。

良い悪い関係なく、考えているものに
集中していれば、そこにはエネルギーが
流れています。

でも、平和で豊かで健康で、物心の幸せを
望んでいます・・・が、なんで
現実はそうならないか?

表面の希望と真逆の想念が、
しまわれてるからかな~?

「人は苦労して人間性が深まる」
「働かないとお金がない」
「泥棒がいる」
「世の中、学歴や地位が大切」
「なんだかんだ言っても中身より見た目」

あなたの、心の奥深くにしまわれた
思い当たる慣れ親しんだ観念は
ありませんか?

私、今日いっぱい気が付きました。

まだまだ、まだまだいっぱいあるわ~。

現実を創造してるのは、私なんだって、
しみじみ気が付いて・・・・・

ああ~やんなっちゃうなあ~♫

自分の内的世界、潜在意識の
エネルギーブロックがいくつもあるわ~。

どうやってはずすかって?

そりゃあ、自分で置いたブロックだから
自分で外すしかありません。

私の心にはたくさんの傷があり、
性格はそこから滲みだし、事柄への
反応もそこから対応しています。

全部じゃないけど、大方です。

今日の私のブロックの外し方は
まず、歌う
‘ああ、やんなっちゃうなあ♫’

その、想念を取り出し、眺める。

次の歌をくちずさむ。
‘ほ~ら、前を見てごらん、
これがあなたの歩む道’

想念さんに伝える。
「ずっと一緒にいてくれて
ありがとう。
私はもう大丈夫だから
光のエネルギーに戻ってね。」

気がつかなくて、文句ばかり言って
ごめんなさい。
そして、ありがとう。
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陽当たり良し。風通し良し。

家は陽当たりが良いと気持ちいいです。

家は風通しが良いと気持ちいいです。

陽当たり良ければ、カラリとし、
風通し良ければ、サラリとします。
ベト~ジト~・・・イヤだイヤだ。

出家し、苦行し、さとりを得ようと
僧侶にならずとも、在家でそれぞれの
人生を生きることは、難行、苦行の連続と
私は思ってます。

この世は、みんな、道なかばの
寄りあい状態です。

中途半端な状態だから、ぶつかり
こじれます。

でも、そこから学び、知恵の泉は深まり、
お互いに、一期一会を感じ、出会いを喜び
時には、励ましたり支え合います。

千日回峰行も行が深まると、
道中の草や花から語りかけられることが
わかるそうです。

そして、山全体に助けられ、歩ける事を
感じるそうです。

万物みなに仏を感じるそうです。

私たちは、途中の人だから
先が見えず、不安を道連れに
行をしている感じです。

私もあなたも、人生のチャレンジャー。

もともと不安とは、実体のないものです。

だから、消す必要もないし、消えるものでもない。

もともとないのだから・・・

不安は、ふあん、フアン・・漢字だと
重く感じますが、かなやカタカナなら
軽く感じませんか?

カラり、サラリに加え、フアリもいいですね。

今の自分に何が必要かわからなければ
不必要なものでも、持てるだけ持って
行けばいいんじゃないでしょうか?

ゴミだしの時、あまりに袋に詰め過ぎ
重いと片手では持てず、両手で
ズリズリと運びませんか?

それでも、途中重さに辛くなり、おろしながら、
休み休み歩きませんか?

そうなんですよね。
たいした距離や時間ではないんです。

重すぎれば、体の方が教えてくれます。

適量を知るのは、それ以上を持った
後です。

手放せ!荷をおろせ!

何を言われようとも、まずは
自覚がなければ・・・

担いでみたからおろせるし、
欲をいっぱい張ったからわかるんです。

たくさんの誘惑、快楽のあふれる
この世界に生まれ、欲や感情の
コントロールするなんて本当にすごい事。

理不尽、不平等が当たり前のこの世界を
まずは認め、それでもチャレンジャーは
勇気をもって一歩一歩、陽当たり風通しよく
軽さのある生き方を目指しながら
歩いていくのでしょうね。

途中、何度も何度もつぶやきながら・・
「これでいいのだ」
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プロフィール

Mami

Author:Mami
愛知県在住。
声とリズムと音叉を使い、
ユニークな音楽教室を主催。
趣味:さんぽ、山を見ながらビール?

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